1. トップ  >
  2. アーティスト・アイズ  >
  3. vol.2 松本人志監督 映画『しんぼる』

2009年10月29日掲載

映画『しんぼる』 アーティスト・アイズ vol.2

松本人志監督 映画『しんぼる』 喪失感のリアリティ、未踏の世界を描き出す

お笑い界の天才というよりも、芸能界きっての異才にして偉才な存在の松本人志。
前作『大日本人』は、第60回カンヌ映画祭カメラドール賞候補になるなど、話題をさらったものの国内ではイマイチの反響だった。今回の『しんぼる』も賛否両論、評価は真っ二つに分かれる問題作となったようだが、その出来映えはいかに。
アヴァンギャルド映像作家、黒川芳朱がエンタテイメントの異才を分析する。

"シュールな笑い"の松本は、前衛アーティスト!?

映画『しんぼる』

私は、リアリティを求めて美術館や映画館に行きます。リアリティといっても写実ということではなく、今を生きているヒリヒリした実感です。今月、その欲求を満たしてくれたのは松本人志監督の二作目の映画『しんぼる』でした。近所のシネコンで、一般料金1800円ですが20時以降の上映だったので1200円で観ました。

映画は二つのパートが交互に描かれます。ひとつはメキシコのプロレスラー、エスカルゴマンとその家族の物語。エスカルゴマンは、今日、年齢が一回りも違う相手と対戦するので神経質になっています。試合のシーンのカメラワークは見ものでした。

もうひとつは、何もない真っ白い出口のない部屋に閉じ込められたひとりの男の物語です。壁には無数のチンボコが突起しています。白くてつるつるした可愛い男のシンボルです。そのチンボコを押すと、壁が一瞬開いて菜箸やマンガ本などいろいろなものが飛び出してきます。男は部屋からの脱出を試みます。

ダウンタウン、特にまっちゃんの笑いは「シュールな笑い」といわれます。松本人志と共にこの映画の脚本を担当した放送作家の高須光聖が、映画のパンフレットに、松本人志の作品は「前衛アートのようだと評論家に賞されたりもしてきた」と書いています。

日常の中のズレや歪みを、丁寧にボタンを掛け違えてゆくように

映画『しんぼる』

たしかに、『しんぼる』は河原温の1950年代の絵画『浴室』や、チェコの映像作家ヤン・シュヴァンクマイエルの『部屋』などの前衛アートを連想させます。また、彼がフリートークやコントで見せる鋭い言語感覚は、ベケットやイヨネスコの不条理劇を思わせるときがあります。しかし、前衛アートのようだというのは、ほめ言葉にはなりません。

松本人志の作品は前衛アートの影響からうまれたわけではありません。彼自身の足もとから出発しています。天才的な発想はもちろんですが、彼の独特の感覚によってピックアップされた日常の中のズレや歪(ゆが)みを、丁寧にボタンを掛け違えてゆくように積み上げていきます。ですから、荒唐無稽でわけのわからない世界を描きながら、生々しい視線や生活感が感じられます。思わず笑ってしまうほどです。

では、彼の作品が結果として前衛に類似したから素晴らしいのでしょうか。とんでもありません。前衛との類似は、前衛アートが提起した問題と今の時代が地続きであるというだけのことです。だから、本質的なものは似てくるのです。

松本作品の素晴らしさは、自分自身の足もとから出発し、他の人がまだ言葉や形にしていないようなリアリティを描き出していることにあると私は思っています。

森羅万象の異変。そして、消えていくものは何か

映画『しんぼる』

白い広大な部屋に閉じ込められた男は脱出に成功しますが、部屋から部屋へ水平にあるいは垂直に移動し続けることになります。部屋は、単なるパーティションで区切られた空間で、その背後には何もない広大な空間が広がっているようです。この空間には重力の感覚が希薄です。男が壁をよじ登り始めると、何かの力が働き、男は空中に浮き上がります。上昇した男が別の部屋に到達したことを考えると、はじめの部屋も空中に浮いていたのかもしれません。床もまたパーティションです。この空間には、大地の感覚がまったくありません。男にとってはパーティションがすべてです。

どの部屋の壁にもチンボコがあります。三つ目の部屋でチンボコを押すとメキシコのプロレスラーの世界に異変が起きます。さらに押すと、アメリカ、ロシア、中国、そして世界各地で異変が起きます。やがて、チンボコに触れることによって起きる森羅万象の異変が、男のいる空間の巨大な壁にプロジェクターで映写されているかのように合成されます。まったく別の二つの物語世界が、部屋と外の世界という関係に移行し、さらには巨大な円筒形の空間とその内壁に映った映像という関係に変容していきます。ここで、現実から幻影へなどという言葉が浮かびます。だが、それはあまり重要ではありません。

この映画に、様々な寓意を読み取ろうと思えばいくらでもできます。事実、私は見ている間にいろいろなことを連想しました。ですが、それらはすべて消えてゆきます。ちょうど、壁からいろいろなものが現れては消えていったように。様々なシンボルやイメージが浮かんでは消えてゆく。そして、唯一残った象徴(シンボル)はCGでできたチンボコです。この浮かんでは消える喪失感こそがリアルです。

私は心の中で、声にならない大爆笑をしました。

(文 黒川芳朱)

Play this video

>アーティスト・アイズ 一覧へ戻る

>松本人志 監督最新作 しんぼる 公式サイト