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2009年12月9日掲載

アーティスト・アイズ vol.3

「ビデオアート」という言葉は、死語になりつつあるらしく、いまは「メディアアートと呼ぶそうである。ビデオアートの先駆者、ナムジュン・パイクの名なら知っている人は多いだろう。『VITAL SIGNALS』という意味深なタイトルのもとに日米の初期“ビデオアート”の上映会が横浜美術館で開かれた。自らのフィールドと密接にかかわる表現領域をアヴァンギャルド映像作家、黒川芳朱が概観する。

ナムジュン・パイクのインスタレーションから始まる

CTG 《コンピューター・ムービー No.2》 1969年

CTG 《コンピューター・ムービー No.2》 1969年

新しいテクノロジーは新しい夢を宿します。テクノロジーが過去の物となったとき、夢はかつてとは異なった姿で、残像として浮かび上がります。

11月21日から23日までの3日間、横浜美術館のレクチャーホールで1960年代・70年代の日米初期ビデオアートの上映会が開かれました。ニューヨークのビデオアーカイブ機関エレクトロニック・アート・インターミックス、横浜美術館、および日本のキュレーターや研究者たちによる共同企画で、今後国際的な巡回を予定しているそうです。

ビデオアートは、テレビやビデオを使った現代アートで、ナムジュン・パイクが1963年に西ドイツ(当時)のパルナス画廊で発表したインスタレーションから始まります。パイクは、強力な磁石を放送の映っているテレビのそばに置き、画像をグニャグニャに歪めたのです。その後、ソニーから小型のVTRとカメラが発売され、撮影した映像をテレビに映すことが可能になります。さらに、放送そのものに食い込んだり、放送とは別のネットワークを作ろうというアプローチも現れます。

観客が作品に参加するアートが生まれる

ジョーン・ジョナス 《左側 右側》 1972年

ジョーン・ジョナス 《左側 右側》 1972年

ビデオは、それ以前のフィルムよりもずっと扱い易いメディアです。抵抗感が少なく、自由度が高いともいえます。現像せずに、撮影してすぐ見ることができます。編集や特殊効果も、機材さえあれば見ながら行えます。ダビング(コピー)も簡単です。ケーブルを延ばせば中継も可能です。テレビ電話にもなります。こういった特徴は、芸術の在り方に変化をもたらしました。作家の作品を観衆が鑑賞するという関係がくずれ、作家はカメラやモニターを持って社会運動の中に参加したり、美術館やギャラリーの中にケーブルテレビ的状況が生まれ、観客がカメラやモニターを通して作品に参加するアートも生まれました。

ビデオ独自の新しい表現と社会にもたらす作用

アラン・カプロー 《Hello》 1969年

アラン・カプロー 《Hello》 1969年

中谷芙二子 《水俣病を告発する会−テント村ビデオ日記》 1971-72年

中谷芙二子 《水俣病を告発する会−テント村ビデオ日記》 1971-72年

『VITAL SIGNALS』は、こういったビデオアートの動向を3つのセクションと6つのプログラムで紹介、38作家(組)の50タイトルを上映しました。

「テクノロジー:新しい視覚言語」というセクションは、ビデオ独自の新しい表現をテクノロジーに即して探ります。「拡張する形式」と「ビデオ言語論」という2つのプログラムからなり、ナムジュン・パイク、ゲイリー・ヒル、ジョーン・ジョナス、松本俊夫、山口勝弘、安藤紘平などの作品が並びます。

「オルタナティブ・メディア:コミュニケーションの変容」というセクションは、ビデオというメディアが社会にもたらす作用に焦点を当てています。「テレビの解放」「共有される記憶」という2つのプログラムで、デイヴィッド・コート、ダラ・バーンバウム、アラン・カプロー、中谷芙二子、久保田成子、中島興などの作品が上映されます。

ビデオは行為を記録し、反復して再生します。「パフォーマンス:行為の記録、身体の記録」というセクションは、行為とプロセスに焦点を当てます。「ビデオと行為」「ビデオと身体」という2つのプログラムで上映されるのは、ウィリアム・ウェグマン、ヴィト・アコンチ、ブルース・ナウマン、かわなかのぶひろ、今井祝雄、出光眞子などの作品です。

制約を超える由な映像を夢見て

デニス・オッペンハイム 《アスペン・プロジェクト/圧縮−シダ(顔)》 1970年

デニス・オッペンハイム 《アスペン・プロジェクト/圧縮−シダ(顔)》 1970年

ビデオアートは90年代ごろからメディアアートと呼ばれるようになり、大きく変化しました。最大の要因は、コンピュータとの融合とデジタル化でしょう。

美術館に張り巡らされたケーブルが、地球の裏側までは届かないように、ビデオアーティストたちはビデオという技術的制約の中に、制約を超えるような自由な映像を夢見ました。このことは、映像の完全デジタル化とインターネットのブロードバンド化が成し遂げられた今から振り返れば明らかです。では、ビデオアートは単に今日のメディア状況を予言しただけなのでしょうか。このアンソロジー上映によって、技術的制約の中に生まれたビデオアートが、それゆえに今なお批評性をもっていることが明らかになりました。

デジタル化が進んだ現在、映像を加工する自由度が増し、現実から映像を切り取ることの抵抗感が薄らぎました。

和田守弘 《認知構造・表述》 1975年

和田守弘 《認知構造・表述》 1975年

初期ビデオアートの作品群を見渡すとき、映像の持つ抵抗感と自由度という拮抗する極が作り出す磁場の中にイメージ、メディア、社会、芸術についての様々なアイデアとコンセプトが凝縮して詰まっていることがわかります。それは、映像が完全デジタル化した現在、よく見えなくなってしまった問題と未だ実現しない夢の宝庫です。私たちはこれらの作品から、今とは違ったメディアの在り方を夢想することも可能です。

(文 黒川芳朱)

All images courtesy of the artist and Electronic Arts Intermix (EAI), New York.


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