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2009年12月1日掲載

名取弘文さん 『シネマの子どもに誘われて』(現代書館)

風の日には風が好き、雨の日には雨が好き。子どもの季節はもっと好き。「モノづくり」授業や「おもしろ学校」で知られた小学校教師が、30年間、スクリーンの中に子どもの姿をみつづけてきた。子どもたちが生きているところには希望がある――多くの映画から励ましをうけたという。

名取弘文さんは、2007年に退職するまで、藤沢市立小学校の教員を務めた。家庭科専科となり、「ナトセン」の愛称でも知られた名物教師。30代半ばから本格的に映画館通いを始め、以来30年、1000本を超す映画をみてきた。その中から、子どもを描いた作品66本を取り上げ、このたび、『シネマの子どもに誘われて』をまとめた。1930〜40年代の邦画、フランスのヌーヴェル・ヴァーグ作品から、近年のドキュメンタリーまで。画面に泣いたり笑ったりしながら、「映画は子どもたちをどのように描いてきたのか」「映画監督はどんな子どもを理想としているのか」を考え、綴る。その教育者としての歩みについても、聞いた。

(インタビュー・構成/田邊道彦)

脱脂粉乳をひそかに家族に届ける兄弟

名取弘文さん終戦の年、1945年の2月に生まれた。東京大空襲の1か月前のこと。
「一家が疎開していた山梨県で生まれました。3歳で実家に戻り、小学・中学と荒川区の学校に通いました。子どものころは戦後の貧しく苦しかった時代。思い出話にもできないような、さまざまな体験がありましたよ。かっぱらいをする子どもたち。学校給食の余った脱脂粉乳をアルミ容器に入れて、栄養の足りない家族にひそかに運ぶ兄弟。露骨な民族蔑視の言葉。映画『泥の河』(1981年)をみて私たちが泣くのは、少年期の忘れたい体験、知らず加担していた差別などを、いま思い起こすからでしょう。地元では、阿部定事件(1936年)や、荒川用水路のバラバラ殺人事件などが、大人たちの間で、伝説のようにささやかれていました。パンパン、やくざ一家なども、近所に住んでいましたね。」
最初はマスコミ志望だったが・・・。

「大学は、文学部の国文科です。就職の第一志望は出版社でした。入社試験の最終面接まで行ったのですが、身元調査の結果、大学在学中の“問題行動"が露見して、採用が見送りとなりました。“すべり止め”だった教員試験も、うまくゆかず・・・。そうしていたところに、現役教員が転勤で欠員が出るからと、1967年7月、藤沢市立小学校の教員に採用されました。
いきなり学級担任でしたが、前任者からの引き継ぎもなく、とまどうことばかり。すぐに1学期の通信簿をつくらなくてはなりませんでした。しかたがないから、“〈5〉がほしい人、手を挙げて”とクラスのみんなに聞くわけです。“誰か〈1〉でいい子、いないかな? ○○君、悪いねぇ”、そんな具合でしたよ。やがて、学業成績の相対評価方式のいい加減さや、知能テストの実施や扱いに、深い疑問をいだくようになります。私は、“ハーモニカがよく吹けましたか”など、子ども自身による自己評価を含めた『手づくり通信簿』を始めました。ところが、これに対してPTAから猛烈な批判が噴出して、理解を得るまで苦労させられました。」

「モノづくり」授業と公開授業を始める

フレンドシップ風車キルト

フレンドシップ風車キルト。6年生卒業生記念作品。1人が20p×20pのパートを縫い、4人の三角の羽が合うと風車に。

1977年から、畑づくり、マーマレードづくりなど、「モノづくり」を中心とした授業を始めた。いろいろなテーマを用意して、公開授業も行った。79年、家庭科専科となる。
「小麦を石臼(いしうす)でひいてパンを焼く、豆腐をつくる、大根を干してたくあんを漬ける、野草を摘んできて料理してみる、米ぬか袋で身体を洗う……。こうしたことを教室で始めました。また、世界の少数民族・先住民の生活習慣を調べ、衣食住を実際に体験してみたり。パレスチナ料理にも挑戦しました。
教壇に立っている私は、じつはヒヤヒヤしながら授業を続けていたわけです。社会科でも理科でも、子どもたちに向かって語っている内容が本当にそうなのだろうかと、そんな思いをかかえながら教えている。ならば、その分野の専門家を教室に招いて授業してもらおう、そう考えて、ゲスト講師をよぶことを始めました。世界の紛争地を歩いている写真ジャーナリスト、穀物を研究している大学の先生などが、趣旨を理解して、喜んで引き受けてくれました。自宅でパンを焼くお母さん、皮細工職人なども教室に招いて、“手づくり"の指導をうけたりしました。こうした結びつきを通じて、教室と地域社会とのつながりも生まれました。
2001年暮れには、重信メイさんを招いて、『パレスチナ』の授業をうけました。このときだけは、学校長が教室に来て立っていましたね。」

ゲスト講師を招いた授業は、日向康さん、ナナオ・サカキさんなど、10回あまり、公開授業は、広河隆一さん、阪本寧男さん、小泉武夫さん、小林カツ代さん、貝原浩さん、長倉洋海さんなど、20回近くを数えた。

ドキュメンタリー映画『おもしろ学校のいち日』

DVD:おもしろ学校のいち日学校指導要領や教科書にとらわれない名取さんの授業が、マスコミや教育界で注目されるようになる。映画監督の西山正啓さんが、「教室の様子をドキュメンタリー映画に撮りたい」と申し出た。ナトセンが教員になって17年目のことだった。
「最初、“そんな大それたこと"と思いましたね。でも、試行錯誤ながら、普通の教師が普通の生徒たちを相手に普段どんな授業を行っているか、そうした教室の様子を撮って、皆にみてもらうのも意味があるかもしれないと、撮影の申し出を引き受けました。収録された授業内容は、奄美大島風ちまき作り(4年生)、生徒のディスカッション『男のくせに・女のくせに』(5年生)、ゲスト・林郁さんによる満州での体験談『引き裂かれた家族』(6年生)です。」

1985年春、西山正啓監督のドキュメンタリー映画『おもしろ学校のいち日』が完成する。記録された授業内容は、教育関係者のあいだで大きな反響をよび、現場の教員を鼓舞することもあった。名取さんは、上映会の講師として全国各地をまわった。2007年にはDVD版が発売されている。