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言葉の風
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世界で一番美しい夜

"現代"邦画のパワーにはすさまじいものを感じる。
レンタルDVDで鑑賞しているので、
やや古い作品が中心となるが、
最近観た、宮藤官九郎『少年メリケンサック』、
天願大介『世界で一番美しい夜』、
源孝司『大停電の夜に』、豊田利晃『ナイン・ソウルズ』など、
どれも新鮮で刺激に満ちていた。
これらの監督たちは、すでに高い評価を得ているが、
それも充分納得できる。
そのなかでも『世界で一番美しい夜』(2008年制作)は、
まず、海辺の村を映したイントロの映像がすばらしく、
それだけで、この作品をピックアップした価値があったと思った。
シナリオもしっかり練られていて、
オチもしっかりつけている。
アナーキーななかにも"筋"だけは通す、知性が感じられた。
筋はフレームとなって、
逆にその枠内で映画は思いっきり暴れられるのかもしれない。
いわば四角いジャングルだ。
なにがとびだしてくるかわからない。
それは、『少年メリケンサック』にも感じられた。
どちらの映画も、
小劇場的な演出や場面が用意されており、
劇中劇ならぬ、「シネマ中小劇場」をそこかしこに感じた。
いいたくともいえない、気はずかしいメッセージが
そこでなら思いっきり吐き出すこともできる。
もちろん、戯画化されたりするわけだが。
物語に「善対善」という対峙はあまりない。
小津、向田邦子の作品にならある。
「善対悪」の構図は、星の数ほどある。
「悪対悪」は、たとえばタランティーノ。
「アナーキー対アナーキー」、
これがぶっとんだ"現代"邦画の特徴のような気もした。
つまり、フツウの登場人物は脇役以外にでてこない。
われわれが住む「現実」世界を装おう必要性などすでにない。
既存の現実をいくらでも好きなように変えてしまえる。
『世界で一番美しい夜』にしても、
中島哲也『嫌われ松子の一生』にしても、
饒舌、過剰に走るのはそこあるように思える。
役者もそのなかにに引きずり込まれる。
監督がいちばん快楽を味わっていると思いきや、
その背後でなんのリスクもなく高みの見物をしている
われわれ、アナーキーを消費するものたちがいるのである。

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