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言葉の風
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『どうだ いかすだろ!』アンソニー・ブラウン作

男という生きものは、
いかに自分が優れているか、他人よりも抜きんでているか、
ということに執着する。
だれかより明らかに劣っていても、
いや、かならず人間はだれかより劣っているはずなのだが、
その事実とはべつに
「オレがイチバン」いう隠された現実に支配されているのが、
男という生きものではないだろうか。
自尊心、それは心理的に消えたり、現れたりするような
可変的なものではなく、
オチンチンがついているように、
猿からシッポがぶら下がっているように、
切り離されないものだ。
いわば、男にとって自尊心はカラダの一部なのだ。
男は、この自尊心ゆえに深く傷つき、深く傷つけ合う。
事態は、けっこう深刻になることが多い。
自尊心は抑えなくてはならないが、なくなりはしない。
ある意味、自尊心がみえにくい男のほうが怖いかもしれない。
知らないうちに怨恨を抱かれていたなど、あまりうれしくない話だ。
それとはぎゃくに、子ども、つまり男の子の場合は、
あからさまで、滑稽で、正しく自分自身を表している。
少年時代は、自尊心というよりも、
自尊心にかぶった皮のようなもの"自慢"に固執する。
絵本、アンソニー・ブラウン作『どうだ いかすだろ!』は、
そんな男の子特有の世界を描いてみせる。
ページをめくると、サムという男の子の前に
待ちかまえるように現れたジェレミー少年が
まっ赤なかっこいい自転車や新品のサッカーボール、
袋に山ほど入ったキャンディなど、次から次へと
みせびらかせはじめる。
その結果、ジェレミーは、事故ったり、窓を壊したり、
お腹が痛くなったりと、いつもひどい目に遭ってしまう。
だからといってこれは、自慢なんかしちゃいけないよ、という
教訓として読むには違和感がある。
もちろん、教訓話として読ませる大人もいることだろう。
でも、自慢はオチンチンのようなものであるからして、
隠すことはできても、取れたり、消えたりはしない。
「自慢は隠しなさい」という教訓は、ジェレミー少年以上に滑稽だ。
そうか・・・、
男っていう生きものは・・・と同感しながら、かつ苦笑して、
やがて、楽しくなる絵本なのだと、思うのだが、
いかがでしょう?
こういう子いるよ! と、
子どもたちは、はしゃぐことまちがいない。

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