ウェブマガジン「この惑星(このほし)」 > 星ぼしブログ > 言葉の風

言葉の風
100307.jpg

『しかしそれだけではない。加藤周一 幽霊と語る』

加藤周一の本は一冊も読んだことがない。
『羊の歌』(正・続 岩波書店)はロングセラー、
『日本文学史序説』(上・下 筑摩書房)は代表作というが、
恥ずかしながら、どれも手にしたことさえない。
もうしばらく朝日新聞をとっていないが、
連載していた『夕陽妄語』だけは読んだ記憶がある。
いかにも朝日が好む「知識人」が書いたもの、
という印象しか残っていなかった。
しかし、死の2年前から撮られたというドキュメンタリー、
その予告を映画館でみせられて、これは観るべき映画だと即断した。
加藤周一は1919年に生まれ、2008年12月に89歳で世を去った。
まず、そこまで生きた人間を撮っているということだけでも、
充分に見応えのある映画だと思った。
韓国映画『牛の鈴音』がひたすら老農夫の日常にカメラを向けたように、
何者であろうが、なかろうが、
老人という存在ほど人間を語るに雄弁なものはない。
スタジオなのだろうか・・・
暗闇を背景に加藤周一の顔がズームアップされるシーンがある。
眼球の膜が白く濁っている。
弛んだ皮膚に散らばるシミ、イボ、ホクロ。
鼻の下に一本残された銀色の髭。
かれは醜いのか、醜くないのか?
決してうつくしいわけではないのだが、
その造形のうえにゆっくりと表れては、沈んでいく
変化ともいえないような、かすかな変化に見入ってしまうのはなぜだろう。
かれが悲劇を語っていても、
悲劇の再生を危惧しているにしても、
目と耳をひとつにさせる、魅せる表出がある。
それが「知の巨人」とも称される人のきらめきなのだろうか。
東大病院の中庭に置かれた椅子で語る姿もある。
まわりの木立の緑とはあまりにも対照的で、
千年生き存えた老木でさえも、
これだけの衰弱をみせることはないだろう。
が、しかし、これほどの肉体の衰弱を抱えながらも、
戦争という狂気と過誤の歴史を語る声を枯れさせることはない。
茫洋ともさせない。
「九条の会」発足の呼びかけ人でもある加藤周一。
東大駒場の教室で学生を前に講演し、質疑応答する、
そのアクティブな知性と言葉のしなやかさ。
明晰なものを宙から引き出す、まっすぐな視線。
カメラの前では見せなかった生彩さに、
スクリーンを前にした客席までもが興奮に包まれた気がした。
老人と大学生の共闘を呼びかける発想はじつに明るい。
もちろん「憲法第9条」を守るための運動だ。
企業や役所に入ってしまえば、退職するまで、
表現や活動の自由が失われるという指摘は苦く、かなしい。
太平洋戦争時、学徒出陣で失った友人、仲間たち。
強制された死の重さ。その重さが加藤周一の存在の中心にある。
しかし、それだけではない。
軍国主義一色に染まったなか、自分の思想を変えることがなかった、
恩師、神田盾夫、渡辺一夫らの存在に人間の尊厳をみる。
進歩や発展のために知性はあるのだろうか。
人が学ぶのは、競争社会に打ち勝つためなのだろうか。
知性は、人類を狂気から守り、悲劇から救うためにこそあるものだ。
人間のほんとうの戦いはそこにしかない。
そんなことを考えさせた映画だった。
幽霊と語りつづけた加藤周一はもういないが、
加藤周一の戦いはこれから正念場をむかえる。
そんなことを予感させる映画でもある。

カテゴリ:

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://konohoshi.jp/mt/mt-tb.cgi/207

コメントする