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言葉の風
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絵本『ここが家だ―ベン・シャーンの第5福竜丸』

地球。
宇宙からみても、これほどうつくしい星はほかに見あたらない。
アルカディアが、この空の下になくてどこにあるのだろう。
―ひとは家をたててその中にすむ。
絵本『ここが家だ―ベン・シャーンの第5福竜丸』の1ページ目に書かれた言葉だ。
家とは、ひとを守るもの、ひとが守るもの。
それぞれの平和のあかしが家なのだろう。
この空の下にはたくさんの家がある。
家族に見送られて静岡・焼津を出港したマグロ漁船。
第5福竜丸の乗組員たちも家から漁へと出かけていった。
彼らは、1954年3月1日、マーシャル諸島のビキニ環礁で被爆した。
アメリカ国防省が行った水爆実験によるものだった。
広島型原爆の1000倍超えるエネルギーをもった核兵器だった。
教科書にも載っている事件なので、知らない人はいないだろう。
しかし、すっかり忘れ去られていた出来事だった。
アーサー・ビナードの詩に興味を覚えて、図書館へ行った。
しかし、彼の著書はほとんど貸し出されていて、あったのはこの一冊だけ。
正直、「第5福竜丸」をテーマにした本に関心はなかったが、借りることにした。
そして、ページをひらくと、
―ひとは家をたててその中にすむ。
という言葉がまっしろい紙面によこたわっていたのだった。
「第5福竜丸」事件から遠いひびきだったが、
なにかひきつける文字の佇まいだ。
次のページには黒い鯉のぼりが描かれている。
これから語られるだろうことを象徴する絵のように思えたが、
鯉のぼりの下にある家々の屋根が色をにじませ、
これも、なにかささやいているように感じた。
本をめくりだすと、そのささやきは、
絵と言葉の二重唱となってひびきはじめた。
「第5福竜丸」という事件にこびりついていた悲劇、犠牲、歴史という、
新聞のかたい見出しの世界とはまるでちがう扉がひらかれた思いだった。
本のなかには生きたマグロが泳ぎ、それを追い、獲る生きた人の匂いがあった。
短い文章と簡潔な線画なのに、ながい人生、
豊かな人生が描かれているように思えた。
じつに巧みな構成だと感心した。
この絵本は、画家ベン・シャーンが
船の無線長、久保田愛吉を主人公に描いた連作Lucky Dragon Seriesをもとに
ビナードさんが文章をつけたものだ。
愛吉さんは、この被爆事件の最初の犠牲者となった。
ベン・シャーンは、ユダヤ系リトアニア人で、
7歳にのときにアメリカへ亡命してきた。
1969年に71歳で亡くなっている。
第5福竜丸事件後も核実験は2000回以上も繰り返されたという。
いまも地下核実験は行われ、
核兵器を持ちたがっている国や集団が存在する。
「第5福竜丸」は、悲劇として人々の記憶に刻まれた。
彼らは、特別な人になってしまったが、
もともとはどこにでもいる漁師たちで、それぞれの人生があった。
シャーンはいう。
「放射能病で死亡した無線長は、あなたや私と同じ、ひとりの人間だった。
・・・彼を描くというよりも、私たちみなを描こうとした」
歴史や悲劇のなかに封じられた"特別な人間"から解き放ってあげること。
この試みは、狂気という"眠り"からわれわれを目覚めさせることにもつながる。
「核兵器などいらない」
これ以上ない完璧な答えを出しているのに、
答を出し続けなければならない人類。
もし、われわれがこのことにすでに飽き飽きしているのなら、
核兵器を夢見る連中と同じレベルに生きていると認めざるを得ない。
この狂気に負けないための、ささやきとひびき、人の歌がこの本にはある。
人が正気と希望を保つためには、ハルマゲドンを想像することではなく、
だれかのなにげない人生をなぞる力を必要とする。
犠牲者や英雄としてだれかをまつりあげることよりも、
できるだけ多くの人生を近くに、遠くに眺めながら、
自分の人生に重ね合わせて、生きていくことにある。
加えて、これらの人生を吹き消そうとする者たちを
われわれは監視しつづける義務がある。
多くの人生のために。
目覚めているとはそういうことだと思った。
連帯もそこから生まれるはずだ。
 
『ここが家だ―ベン・シャーンの第5福竜丸』
絵 ベン・シャーン、
構成・文 アーサー・ビナード (集英社)

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