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言葉の風
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『アポリネール 動物詩集』山本容子絵

買って失敗だったな、という絵本がいくつかある。
そんなやつは、なめるように本棚を見回しても、
ふしぎなことに目に入ってこない。
自らその存在を消し去っているからに違いない。
『アポリネール 動物詩集』。
この絵本もそんななかの一冊だった。
絵は山本容子さん。
近代フランスの代表的な詩人とエスプリあふれる画家、
申し分ない組み合わせに思えた。
買ってきてしばらく日が経ち、頃合いをみて絵本をひろげた。
気持ちが軽やかで、ひとりになりたいときで、
しずかな時間が外と内に流れている。
絵本は、"絵本ごころ"のときがやってくるまで、
ひろげないことにしている。
そうして、この絵本もめくられていったのだが、
ぴんとくるものがなかった。
はっとさせる、えっとおどろくものがなかった。
楽しみにしていた貴重な時間が漫然と過ぎていった。
本屋でちゃんと見て選んできたんだろ・・・。
そう言われるかもしれないが、書店では、絵本を読んだりはしない。
絵本という"宝もの"を味わうのは、「絵本ごころ」のときだけだ。
ざっと絵柄を眺めて、はじめのテキストと無作為に視線を落とした数行を読む。
それを2度、3度繰り返して(絵本の魂!?も量ったりしながら)
買うかどうかを判断する。
この本もそうした瞬間的な己の目利きで選んだきたものだ。
しかし、しかし・・・。
たまにそんな絵本を手に入れてしまうこともある。                   
数日前のことだ、書棚のはずれの背表紙のジャングルからヌッと、
『アポリネール動物詩集』があらわれた。
この絵本がどうしてつまらなかったのか、知りたくなった。
そして何年かぶりにひらいてみたのだ。

    いるか
   群れをなすいるかよ、君たちは海で遊ぶ。
   しかし、波はいつもにがい。
   ときにはぼくのよろこびだって爆発するか?
   とはいえ、人生はやはり残酷だ。
                 (窪田般彌訳)

この詩句をナンセンスと思っても、無邪気と感じてもどちらでもいいと思う。
アポリネールの詩が右ページに手書きで縦書きされている。
ひらがなは、こどもの字のようにアンバランスでかわいらしい。
堂々とした漢字が大人のおんなのようにうつくしい。
詩と文字の世界が、透明な一幅の絵となっている。
意味を求めたくなる詩であればそうはならないだろう。
その左ページには、この詩にインスピレーションを受け描かれた絵が収まる。
山本容子さんの絵は、具象そのものよりも色づかいや線の動き、構図の妙に
視覚の神経がうばわれて、それが楽しく、心地いい。
あの独特の文字も山本さんのものだ。
こうして10篇の詩と10点の絵が20ページ、見開きで読み、
眺められる体裁をとっている。

       くらげ
      くらげたちよ、むらさきの髪の毛の
      不幸な頭たち
      君たちは嵐のなかで上機嫌
      ぼくも嵐を楽しもう、君たちのように。
                    (窪田般彌訳)
     
たとえば、逆に絵から詩を起こしてみることを想像してみよう。
無限に、そして無秩序に詩は生まれてくるだろう。
言葉も形も有限なのに、その有限から無限の世界が生まれてくる。
創造とはそういうものだ。
毎日、毎日、決まり事に約束事、人は意味や価値を求め、
理解してもらうことに必死だ。
それが社会の中で生きていくということだ。、
しかし、ときに爆発が欲しくなり、嵐も楽しみたくなる。
この絵本のなかでは、平和な無秩序さと繊細な無意味さが
生き抜いている。
現実と日常に疲れている大人に
効き目がある絵本であるということに気づいた。
"絵本ごころ"とは、
また別の時間軸で手に取られるものだったのだ。

 

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