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Today's Shot / 言葉の風

2009年08月09日
Today's Shot
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言葉の風

谷川俊太郎さんの詩の朗読会が開かれるという。
場所は高校時代からの馴染みのロック喫茶“ピーターパン”。
10数年ぶりに会った友人をともなって出かけてみた。
しばらくぶりに訪れた店はコジャレた空間に様変わりし、
ロングヘアのマスターはいつのまにか髪を短くしている。
回廊のような通路を進んで店の奥へ。
なぜか客席には椅子もテーブルもおかれていない。
舞台さえも見あたらない。
白木のフローリングがピカピカに磨かれてあるだけだ。
会場には一番乗りだったが、じきに美しい女性が2人入ってきて、
われわれの隣で、細い脚をきれいにたたんだ。
やがて続々と人がやってきた。何人か知人も混じっていた。
「ひょっとして、○○さんですよね?」そう話しかけてきたのは
かつての会社の後輩で、いまはロック雑誌の編集長をしている男だった。
高橋源一郎氏も入ってきた。50人ほどが集まっただろうか。
突然、スタッフが全員に掛け布団を渡しはじめた。
布団は、小ぶりだが、新品らしくふかふかしている。
「それでは皆さん、それに包まれてみてください」どこかで声があがった。
あまりにきもちいい布団に身体をあずけて、そのまま横たわった。
すると床が船底のように揺れはじめるではないか。ゆっくり、ゆったりと。
なんという奇をてらった趣向だろう。
みんな左右に少しづつ床を滑る。その同時性が楽しい。うれしい。
どれだけ時間が過ぎたのか、だんだんと揺れは小さくなり、
やがて完全に止まった。しんとした会場。
朗読がはじまろうとしていた。わくわくする。
この瞬間にどんな言葉が発せられるのか。
だれもが胸を高まらせている。天井のぼんやりとした闇が晴れていく。
鳥の鳴き声が遠くから聞こえてくる。
耳元にいつもの野鳥たちの鳴き声がさんざめく。
そして目を覚ました。今朝ほどあった「朗読会」の話である。

see you tomorrow!


2009年08月08日
Today's Shot
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言葉の風

もうもうたる紫煙。プラスチックのコップに注がれた
ジントニック。詰めに詰めた椅子。
目と鼻の先の舞台できらめくマイクスタンド。
外はどしゃぶりの雨、7階の窓にときおり稲光がフラッシュする。
金曜の夜、渋谷歓楽街のとあるライブハウス。
ホールには解放感が気体のように充満している。
フラストレーションの成分もしっかりそのなかに溶けこんでいる。
ジョイントライブ。異質な分子同士が隣り合う不安定な空気が客席に漂う。
はじめに出演したバンドのボーカルが、その空気に過剰反応を起こす。
異質なものが苦手のようだ。MCでちいさな挑発をくりかえす。
居酒屋のからみ客が舞台でマイクを握っている。
「フォーク」とやらがお嫌いらしいのはちゃんと伝わった。
さよならナイーブなひとよ。
やっと遠藤賢司がやってきた。
16歳の時に見た仙台公演以来の生エンケン。
あの時は福島で暴漢に殴られた直後で包帯がぐるぐるに巻かれて
顔なんかほとんど見えなかったけれど・・・。
アコースティック1本、アルペジオがつま弾かれ、
歌がはじまる。と、タバコもうもうのホールが
どこか絶海の孤島へでも瞬間移動したような
錯覚にとらわれる。それもつかの間。
「おれはひとりでハードロックやろうとしてるんだからね」
圧巻は、エレキギターをかき鳴らしながら、
ドラムを叩きまくる、ほとんど“神憑くケンジ”。
鼓膜損傷に見舞われそうだった。
「ライブ終わって家に帰るとね、さびしんだよ。
やることやっちゃってるからね。
さびしんだよ。ネコでもなんでもいいからさ、
だれかに抱きしめられたいよね」
そんなことをつぶやいてサラっと笑う。
還暦を過ぎた少年は、
舞台をたったひとりで祓い清めていった。

see you tomorrow!


2009年08月07日
Today's Shot
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言葉の風

夏はどんなに暑くとも青空が広がっていれば、
元気になる。
まっしろな入道雲がこぶしを突き上げていれば
楽しくなる。
夏らしいそんな天気が今年は何日あったろう。
だからか、灰色の空にふたをされた日中よりも
薄闇の日没時のほうが散歩の足取りも軽いような気がする。
ヒグラシが鳴く暗い林を横切り、小高い丘にあがって
紫とだいだい色に染まった雲をながめる。
街のほうから熱い風がやってくる。
足もとにひっくり返ったセミが力なく足をうごかしている。
無事に交尾を終えたのだろうか・・・。
セミは、枯れ木や樹皮に卵を産みつけるが、
幼虫に孵るのは翌年の梅雨時らしい。
卵からふ化した幼虫は、木から下り土を掘る。
アブラゼミなら、それから6年間を地中で過ごす。
とすると、この土に中には1歳から5歳の幼虫が
暮らしていることになる。過密気味な感じもするが・・・。
土の中では木の根から栄養を頂戴するそうだ。
木の中で生まれて、木の根に育てられ、、木の下で死に絶え、
木の肥となる。
セミにとって木とは宇宙のようなものかもしれない。
まだまだ、交尾と産卵はつづく。
青い夏に期待したい。

see you tomorrow!


2009年08月06日
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言葉の風

知己を得てから40年。
おそらく、人生でいちばん長くおつき合いさせていただいている
のではないだろうか。
地理的に離れているのでほとんどお会いする機会もない。
電話も数年に一回かけるかどうか。
しかし、電話をかけてみれば、そのあいだ何事もなかったように
おだやかに話がはじまる。83歳になると聞いて、
もうそれほどのお歳かと驚いたが、
声からは、いささかの老いも感じられない、
記憶力もこんこんと湧く泉のごとく。
この方は、詩人としてすでに大きな仕事をやり遂げてはいるが、
詩作は終生であり、それを全うする健康にも恵まれている。
どんな経緯だったのか、話が「日本国憲法」第9条におよんだ。
30分以上、電話口で熱弁をふるわれた。
人はいかなる理由があっても人を殺してはならない。
戦争を知るものとして、第9条は後の世代へ残していくべきものだ、と。
それがいま大変、難しい局面にきており、
国民全体がふたたび戦争を容認していく状況に達していくのではないかと
強く危惧されていた。
面倒なテーマであり、厄介な問題だ。
結論をすでに持っている人は強い。
自分の考えが浅く、とても話にならなかった。
直感だが、結論を出さない強さをもっと補強してもいいのかもしれない。
電話を切ってからそう思った。

see you tomorrow!


2009年08月05日
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言葉の風

詩に「聖」性というものがなければ、
詩はただの言葉遊びに等しい。
「聖」性とはなにか、と問われれば、
ここではない場所を、“ここにはない世界”を
知っている心、そのものと定義したい。
場所や世界とは、もちろん天国でも極楽でも地獄でもない。
そんな具象や風景ではない。
言葉を切ったり貼ったりした詩文に<詩>がなくて、
詩などと言って胸を張らない文脈や音律や画像に<詩>が、
ひそんでいるというのは、よくあること。
ここではない場所“ここにはない世界”をあらわすことが
詩の本当の役目ではない。
そこから呼びかえされた瞬間を精細に描き提示すること。
それが詩の務めだ。
だから現実がいつもついてまわる。

see you tomorrow!


2009年08月04日
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言葉の風

長い長い坂を上っていく。
いつまでたっても赤い提灯は見えてこない。
冬は木枯らしに吹かれ、夏は重い湿気にびっしょりとなって、
坂をもくもくと上っていく。
やっと道が平坦になって、そのずっと先にあらわれた小さな灯り。
なんのことはない居酒屋。
10人も入れば酔客が沿道にこぼれそうな店。
酒の肴などない。運がよければおでん。たいていは、
そのへんで売っているおかきのような乾き物。
ビールは冷蔵庫から勝手に取って、自分であけて自分でそそぐ。
日本酒だけは女主人自ら用意してくれる。
80歳の女将。というよりもお酒だいすきなおばあちゃん。
この人を慕って夜な夜な老若男女が
近所から地の果てからやってくる。
酒乱や他の迷惑になる連中は追い出される。
そして二度と敷居をまたげない。
袖すれ合った他人同士、知らず知らずに話がはずむ。
まわりは墓地だらけ、闇は深い。
ピシャリと引き戸を閉めたこの店だけがあやしく灯る。
ギスギスした人間界を離れてやってきた妖怪どもで盛り上がる。
思い出すと夢幻のようだが、女将はご健在のようだ。
店は閉めたが、酒はやめていないようす。
ネットで息災がわかるほどディープなファンがついている。
88歳になったという。 またお会いしたい。

see you tomorrow!


2009年08月03日
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言葉の風

夏は暑さにかまけて、ただ漫然と過ごせばいい。
それなのに、勤勉でまじめな日本人のなかには、
この時期になにかを成し遂げようとはりきる者があらわれる。
1q泳げるようになろう。TOEICの勉強をしよう…エトセトラ。
それも夏がはじまる前のことで、夏まっ盛りともなれば、
うだった日本の夏に降服するように、
いやがうえでも日々は漫然と過ぎていくようになる。
5年前の夏、本郷の古書店で『チボー家の人々』全5巻を購入した。
その夏のあいだに読破するつもりだった。
でも、できなかった。
しかも1巻の途中で放り出してしまった。
じつは中学3年の夏休みに2巻目までは読んだのだ。
なぜか月明かりのもとでむさぼるように読んだ。
主人公の少年、ジャック・チボーは自分自身だった。
それだけ感情移入できた物語なのに読むことを中断してしまった。
ジャックが大人に成長していく過程で心が離れていったのかもしれないが、
はっきりした理由はわからない。
その理由を知りたいわけでもない。
物語があれからどう進んでいくのかにも
興味があるわけでもないが、
毎夏、『チボー家の人々』を書棚から下ろす。
むさぼるように読んだ14歳の夏がもしかしたら
あの全集をひらくとやってくるのではないかと
期待しているのかもしれない。

see you tomorrow!


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