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Today's Shot / 言葉の風

2009年08月30日
Today's Shot
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言葉の風

今日は衆議院選挙の投票日だ。
すでに1000万以上の人が事前投票を行ったという。
これまでの数字を大幅に上回り、
今回の選挙への関心の高さを見せている。
昨日は選挙戦最終日ということだったが、
大阪4区では浜田幸一が街頭で土下座をしたり、
麻生太郎が電車に乗り込んで市民とオシャベリするなど、
いつもながらの唖然とする、また頭をかしげたくなる
パフォーマンスが出現した。
銀座英國屋で仕立てたようなパリッとした
高級スーツを着て、黒塗りのハイヤーで選挙区を駆け回る候補者。
炎天下、畑の脇の空き地に集められた疲れた表情の支持者たち。
まるで支配者と被支配者の構図である。
政治家=「厚顔無恥」の特権者という時代は終わりにするべきだ。
為政者は、国民のための最良の奉仕者となるべきである。
料亭で政策を左右するような政治はもういらない、
政党内の権力争いや政治家自身の不祥事で
貴重な任務遂行の時間を空費するような政党は粉砕すべきた。
そして、政治家に政治をゆだねてきた国民こそ変わらねばならない。
ぼやきとあきらめが、われわれのこれまでの政治性だった。
政治との接点は投票だけでない。
政権が変わろうが、変わるまいが、
われわれの役割は、政治のディレクターになることではないのか。
世論の力は決して小さくない。
ネット社会というものの功罪は多々あるが、
政治そのものを進化させる可能性がある。
もちろん全体主義が復活する危険がないわけではないが。
政治とは、われわれそのものなのだ。

see you tomorrow!


2009年08月29日
Today's Shot
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言葉の風

「ぴあ」を買った。
月刊の頃はよく買ったものだが、
いまでは年に1、2回、ふと思い出したように買うぐらいだ。
イベントやライブを観て回る若い頃の機動力もないし、時間もない。
ロードショーからアート、スポーツまで
それにしてもたっぷりの情報量だ。
創刊してまもない1974年頃に手にしたときには
ほんとうに薄っぺらで、
パンフレットに毛が生えた程度の冊子だった。
それでも当時は斬新なメディアだったし、
映画鑑賞の貴重な情報源だった。
「はみだし情報」というものがあったが、
ページの端のわずかなスペースに綴られた
読者投稿がけっこう楽しめた。
最近、書店へ行って思うのは、新刊の出版点数の多さと
これまでに蓄積された既刊の圧倒的なボリュームだ。
2008年度に刊行された書籍は76,332冊、なんと
一日に200冊以上の新刊が発行されていることになる。
しかし、売上低迷は深刻だ。多品種少量生産はさらに続いていく。
音楽、映画の世界では、国内だけでなく、
世界同時に次から次へと新作が発表されつづけている。
ヒップポップ、ラップなどジャンルも多彩になった。
さまざまな国の映画を観ることができる。
アーティストと呼ばれる人たちが現れては消えていく。
テレビ、雑誌、ラジオ、ネットを通じて
からだのなかを嵐のように「情報」が通りすぎていく。
娯楽文化を楽しむよりも、その情報の受信と処理だけで
時間が消費されているようにも思える。

see you tomorrow!


2009年08月28日
Today's Shot
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2日前、新聞の中面、国際欄の片隅に
<ノモンハン事件の対日勝利70年記念式典が行われた・・・>
という内容の記事を目にした。
ロシア、モンゴルの両大統領の出席のもと、
ウランバートルで開かれたという。
強い違和感をおぼえた。
ノモンハン事件は、日本、旧ソ連合わせて5万人近くの兵士が
戦死した局地戦争である。
満州とモンゴルの国境線をめぐる武力衝突で歴史的経緯もあり、
どちらに非があったかという問題はおいておく。
本質的な問題は、双方で多大な戦死者を出した戦争を
「勝利」という無意味な評価で粉飾した時代遅れの政治感覚にある。
勝利を讃える、つまり戦争は正しかったと公言しているのだ。
それも先進国と呼ばれている大国の国家元首がである。
旧ソ連軍をナチス・ドイツと同じ「占領軍」とみる歴史観が
周辺国で広まっていることへの反発も秘めているらしいが、
まったく愚かなことだ。
ノモンハンでは、野ざらしにされた遺骨や朽ち果てた武器が
いまだにあたり一帯に散乱しているという。
ウランバートルで戦勝記念を祝うよりも、
この地でしたくもない戦争で無念の死を遂げた両軍の兵士を弔うべきだ。
ロシアも日本もともに。
そして、21世紀の指導者たらんとするものは、
いつの時代でも正しい戦争、価値ある戦争、
評価すべき戦争などない、ということを声明すべきだ。

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2009年08月27日
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静かに映画鑑賞できる生活環境ではない。
ではないが、気になる昔の作品がノーカットで放映されていれば、
ごあいさつ程度にテレビを流し見することもある。
小津安二郎『浮草』、2度観ている。
いちばん好きな小津作品は、と問われれば、
『秋刀魚の味』か『浮草』と答えるだろう。
紺碧の海のむこうに白い灯台、海辺の町の潮風に洗われた家々、
路地からあらわれ路地へときえていく夏の子どもたち・・・。
冒頭、絵画的なショットがつぎつぎと繰り出されると、
もう、だめである。その場から動けなくなる。
1コマ、1コマが完璧な芸術なのである。
素の日本の美しさ。京都でも奈良でもない、
三重志摩の名もなき海辺の町が撮影地である。
フレームに入る森羅万象は、
小津のレイアウトによる造形美術の世界だ。
灯台も人間も空き缶も手拭いもすべて。
素(す)の日本が描かれる。生(なま)の日本ではない。
小津作品には、古い映画を観た際に遭遇する、
苦笑せざるを得ない時代感覚のズレ、その滑稽さがない。
現代とのギャップがないのだが、これはこの先も続くだろう。
現代のほうが常に滑稽へとむかっていくのだ。

see you tomorrow!


2009年08月26日
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都内の公立小学校ではもう2学期がはじまったようだ。
新型インフルエンザの集団感染が懸念されているなか、
練馬区のある小学校の始業式の様子がテレビ放映されていた。
なにを今さらのことだろうが、
校庭に整列する学童のあまりの少なさに愕然とした。
ちなみに1978年度の東京都内の小学校入学者数は180,175名、
それが2007年度で94,285名と、
ピーク時の約半数という数にまで減少している。
その数はこれからもさらに減り続ける。
子ども時代、地方都市で高度成長時代を過ごした者にとって、
小学校といえば、1,000人以上の子どもが集まるやたら賑やかな場所だった。
いま思うと、小学校は単に子どもが教育を受ける場というだけではなく、
ある種の共同体としての機能をはたしていたように思う。
運動会や学芸会、バザーには、
おじいちゃん、おばあちゃんはもとより、近所のお兄ちゃんや
お姉ちゃんまで老若男女が集まってきた。
子どもたちの家族だけでなく、地域のみんなが楽しんでいた。
共同体が崩壊し、核家族化による世代の断絶が起こり、
さらにDINKSという生き方があらわれ、
いま、終生単身者がひろがりつつある。
人はどこまで個体となっていくのだろう。
拡散するだけ拡散したら、収縮へむかうのだろうか。

see you tomorrow!


2009年08月25日
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言葉の風

夏の終わりの驟雨(しゅうう)も
窓から眺めているだけならいいものだ。
以前、その締め切った窓をも通り抜けて
家の中を水浸しにしたつわものに見舞われたことがあった。
やはり夏の終わりの頃のことだ。
空の表情ががらっと変わったかと思ったら、
黒い雲が大きなクジラのように低空を泳いでこちらにむかってくる。
それから西向きの小さな窓にバケツで水をぶちまけるような
雨がふりかかった。窓を閉めるもなんのその、
もともと立て付けの悪いサッシの溝から
蛇口をひねったような雨水が流れてきた。
あれよあれよという間に、水はキッチンにあふれ、
リビングまで流れ出した。
下階に浸水したなら大変なことになる。
水を止めるものならなんでもと、衣服まで放って対処した。
生きもののように家を、人を襲う雨はおそろしいが、
それでも雨はいい。どんな雨もだいたい好きだ。
広重の浮世絵に「大川橋・あたけの夕立」という名作がある。
編み笠やむしろをかぶって橋を急ぐ人、
斜めに降り刺さる雨が痛々しいほどだ。
それでも雨のつくりだす空間には魅力がある。
雨を描く。それは粋(いき)というよりも
やはり陰翳礼賛の情趣になるのだろうか。

see you tomorrow!


2009年08月24日
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ベルリン国際陸上<女子マラソン>で、
尾崎選手が銀メダルを獲得した。
終盤、先頭集団はエチオピア、中国、そして日本の3選手が
競うかたちとなった。
ランニングフォームが三者三様で見ていておもしろい。
エチオピアの選手は水か雪のなかを掻き進むような独特の腕の振り。
中国の白雪(はくせつ)選手は、肘から先を地面にぶらりと下げ、
力を抜いた感じの走り。
日本の尾崎は見ていて一番スタンダードなフォームで、
リズムカルに距離を消化していく。
女子マラソン世界最速記録保持者のラドクリフ(英国)などは、
蒸気機関車が勾配を力走しているようで
見ているこちら側がくたびれてしまいそうな走りだった。
上体を前後にゆらす独特の動きは、ピストン運動そのもので
それが脚を回転させている、そんなふうに見えた。
能力を全開にするにはその人なりのフォームが必要なのだ。
フォームが見つかれば能力はあふれだす。
こと運動能力に限れば、
美しいも、美しくないも関係ない。
強いが勝ち。
いや、表現についても同じか。

see you tomorrow!


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