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Today's Shot / 言葉の風

2009年09月27日
Today's Shot
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言葉の風

首に手刀をあてて
「そんなことしたら、クビになっちゃうよ!」
かつてそんな冗談をよくいいあったものだ。
いまは冗談にならない。なんの落ち度がなくても、いつなんどき
人員削減の対象になるかわからないご時世となった。
ところで時代小説の人気が高いらしい。
最近では、若い女性の愛読者も増え、
戦国武将に疑似恋愛するひともいるとか。
戦国の世といっても、つい4、5百年歴史を遡るだけだ。
その時代、戦で負ければ、
ほぼ間違いなく敗北した武将の首は落とされた。
そこから「クビ」という表現が使われるようになったのだろうが、
現在、落とされるのは、
たいがい白兵戦で戦い続けた人たちのクビのみ。
大将たちは椅子から立ち上がろうともしない。
先週、NHKの大河ドラマで「関ヶ原の戦い」の場面を放映していた。
CGにより東西両軍の布陣を俯瞰できたのが興味深かった。
立体的で戦のリアリティが伝わってきた。
第二次世界大戦を記録した映像は、ほとんどが白黒だ。
なんど見ても、この世でないところで起きたことのように感じていたが、
一度、ナチスを映したカラーフィルムを観たとき、
ヒットラーの顔が生々しく、それまでどちらかというと
滑稽なイメージだったのが、急に気味悪い存在となった。
リアリティを持ったのだ。
しかし、狭いこの国でいったいどれだけの人間が
戦で傷つき、死んでいったのか。
ドラマではなくそれらは過去の事実だ。
いま、われわれもひとり一人戦っているはずなのだが、
なにと戦っているのかわからない。
敵とか味方という次元ではないようだ。
自分自身であることは間違いない。
ならば、殺されることはない。
殺す必要もない。

see you tomorrow!


2009年09月26日
Today's Shot
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言葉の風

「飛蚊(ひぶん)症」という目の病気がある。
目の硝子体に濁りが生じて、
視野のなかに糸くず状や点状の浮遊物が漂う。
それだけで、痛くも、かゆくもない。
29歳のとき、目のなかに黒い小さなアメーバーを発見した。
「ヒブンショウだね。心配いらないですよ。
まっ、老化現象だから」と医師のひと言。
ロウカ!ゲンショウ!!
はじめて浴びせられたその言葉にショックを受けたことをよく憶えている。
さらに、目のなかの黒いそいつは一生なくならないという。
もちろん、いまも右目の硝子体に常駐しており、
目玉を動かすと、そいつは視界の手前にすべり込んでくる。
姿を現したあと、ゆっくりと下のほうへ沈んでいくが、
目を動かせば、何度でも、いつでも現れる。
光あるかぎり。
29歳のときに出現したそいつは、
やあ! とばかりに、視野のほぼ中央に流れてくる。
最近、右目のなかにまた新たな“濁り"が生まれたらしい。
小さなものはこれまでも気づかぬうちに増えてきたのかもしれないが、
今回のはやや大きい。
その身を潜めている場所が右上方の果てにあるらしく、
なかなか現れない。どんな作用により現れるのかわからないが、
なにかの拍子に視野の隅っこに出現するから、
ときに錯覚を起こさせる。
外にいるときは、鳥か虫が空をかすめたように感じる。
右斜め空間を一瞬で飛び去る。まさに「飛蚊」。
ところが窓辺でぼんやりと目の前の森を眺めていると
黒い点が、左から右に、あるいは右から左に
窓枠を真一文字に切っていくことがある。
目のなかの濁りではないことだけはたしかだ。
鳥なのか、虫なのか、わからない。
とにかく猛烈なスピードだ。
黒い点だけ。音も立てない。
生きものなのはたしかだ。
時を一にして、
目のなかと空のなかに「点」が出現する。

see you tomorrow!


2009年09月25日
Today's Shot
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言葉の風

空が澄んできた。
日が沈んだあとの空に目をこらすと
全天で星が瞬きだす。
南西の方向、下弦の三日月のやや右下にひときわ輝く星。
星座ソフトで調べると、「アンタレス」という名の恒星だ。
600光年先にあり、直径は太陽の700倍もあるらしい。
その色は赤く「さそりの心臓」という別名を持つが、
三日月に寄り添う姿は可憐だ。
ぜひ、暮れ方の南西の空に注視していただきたい。
数日前、近所のグランドで子どもと地面に絵を描いて遊んでいるうちに
いつのまにか石拾いに夢中になってしまった。
みな一様に見える石ころも、乾いた土を手でぬぐってやれば、
いろいろな色があらわれてくる。
かたちもひとつとして同じものはない。
おはじきよりも小さな石からゴルフボールほどの大きなものまで
「宝物探し」と称し、めぼしいものを拾い上げたり、
一角をのぞかせたものを土から掘り返したりしてあきない。
なかには日本の探査機「はやぶさ」が着陸した
小惑星「イトカワ」のようなものもある。
地面から星を拾っているような気にもなってくる。
太陽の700倍もある巨星「アンタレス」も、手のひらにのる微小な石も、
それを拾う物好きな人間も、たかだか137億年前、
何もない空間から大爆発の果てに生まれ出てきたということ、
それがもしほんとうならば、
世界でなにか起きても不思議ではない。
いや、それよりもこの説が生まれて、
まだ80年ほどしか経っていないことに驚いている。
やはり、われわれは、すごい時代にいるのではなかろうか。

see you tomorrow!


2009年09月24日
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言葉の風

生きている間に見られるか、どうかの作品を見逃してしまった。
東京国立近代美術館で開催されていた「ゴーギャン展」が
昨日終了した。早朝に出かけようと予定していたのだが、
時間が押した。最終日の大混雑のなかで、
『我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか』を
見るのも、それはそれでよかったのかもしれない。
自殺未遂の直前、絶望と孤独のなかで描きあげられたこの大作を、
押し合いへし合い、聞きたくもない他人の感想やらため息を耳にしながらでも。
この展覧会のおかげで、以前から読もうと思いながらその機会を逃してきた
『ノアノア』というすばらしい本を読むことができた。
ゴーギャンがタヒチ滞在の日々を綴ったものだ。
文明人であり、ひとりの芸術家が「最後の楽園」に入っていき、
そこで暮らし、離れるまでのドキュメントとなっている。
タヒチに伝わる神話を子細に聞き出しているのがとくに印象に残った。
民俗学者のような取材力と作家顔負けの描写力、
詩人の感性があますことなく本のなかに息づいている。
未開世界の光と闇、優しさと残酷さを、
言葉の力のみで描ききっている。
ゴーギャンの言葉というものに邂逅しただけでも
今回の展覧会開催の価値はあった、と思うことにする。
ボストン美術館まで行くことはないだろう。

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2009年09月23日
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自分のために絵本を買えるか、どうか。
それは心のひとつのバロメーターだ。
もう長く絵本を買うことがない。
これは、心のある場所が閉じられたままということだ。
日なたのぬくもりのある子どもの頃の自分の部屋。
そんな部屋は、もうとっくにないが、
わずらわしい世間の風が吹いてこない、
静かで穏やかな時間という、子ども時代の“場所”ができれば、
そこに選びに選ばれた絵本を持っていきたい。
だから、絵本を買ってもすぐには読まない。読めない。
まずは読むための場所をつくるのだ。
絵本を乱読するなど愚か者のすること。
なにかを吸収したりすることではない、
仲良しになれるかどうかが、絵本とのつき合い方だと思う。
しかも、一生のつき合いになる。
自分たちの子どもに読み聞かせることのできる家宝ともなる。
なにげなく棚から引っぱり出して、パラパラとやっているうちに
その場から動けなくなり、またその世界に帰って行く。
そんなこともある。読み終えたあとの幸福感、
たとえつかの間でも、なくてはならない時間だ。
どちらかというと新刊よりも、
読み継がれてきた本が選ばれることが多いようだ。
みんなから愛されてきた絵本ということだ。
感動した絵本が、何十という版を重ねていると
ため息がもれる。やっぱりな、という意味の反応なのだろうが、
多くのだれかと喜びを分かち合えたような気持ちもする。
絵本探しは、取りも直さず、しあわせ探しなのだろう。
扉をあければ場所もうまれるはずだ。

see you tomorrow!


2009年09月22日
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深夜、目が覚める。
そのまま眠れないこともめずらしくない。
窓辺に腰かけ遠くの灯りを眺めて漫然と時を過ごす。
静まった夜更け、少し暗うつな雰囲気が漂っているが、
そのくらいが精神の均衡にはいいのかもしれない。
ときにテレビをつけてみたりもする。
きまってBS放送だ。
だれもいない居間に光の窓がひらかれ、アルプスの山々や
地中海の海、中国の水郷の村などが鮮明に目の前に現れる。
異国のうつくしい光景を真夜中に見られることの幸福。
現代生活の特典に感謝したくなる。
本日の未明、
ジャン=ジャック・アノー監督の『子熊物語』が放映されていた。
あり得ないシナリオだったが、熊そのものの存在感を堪能するには
すばらしい映画だった。
熊を“山の神”、あるいは“森の神”として崇めるのは、
日本の東北・北海道に限ったことではないだろう。
どう猛なヒグマの顔がときにハッとするような崇高な表情に変化する。
人間の勝手な思いこみだけかもしれない。
しかし、たしかに叡智以上のものが一瞬きらめく、なんだかはわからないが、
それが野生に生きるということなのだろうか。
ピューマに追い詰められた子熊が咆哮するラスト、
生きることのすさまじさが腹の底に響いた。
1989年に公開されたこの映画。もう一度観てみたい。
深夜に目覚めるのも悪くない。

see you tomorrow!


2009年09月21日
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連休ということもあり、
渋谷センター街界隈はいつも以上に人でごった返している。
そのなかに法被(はっぴ)姿の粋な姐さんがチラチラと
目に入る。どこかの神社の祭礼なのだろう。
が、みな一様に浮かぬ顔している。
それもそのはず、御輿を担ごうが、山車を曳こうが、
この人群れの荒海ではなにをしても没していくのみ。
だれも見向きもしない。
これほど無力な祭礼を見たことがない。
路地の奥まったところで肩身を狭くして
御神酒を酌み交わしている氏子の人たち。
その脇も人の流れが止まることがない。
いつか祭りもなくなってしまうのだろうか。
もとはといえば、五穀豊穣を祈り、祝うものだった。
いまこの国では、五穀を恵む大地のほとんどを放棄している。
江戸の町祭りは、封建時代にあって庶民の謂わば、
ガス抜きの機能をはたしていた。
お伊勢参りも民衆に許された幕府公認の“旅する祝祭”だった。
祭りが日常化しているのが現代なのだろう。
モノにあふれ、つねにガス抜き状態の都市。
腐った異臭がするのも当然か。

see you tomorrow!


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