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Today's Shot / 言葉の風

2009年10月04日
Today's Shot
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言葉の風

タイムマシーンより、すてきなもの。
現実より、五感に響くもの。
小説より、ドラマチックなもの。
詩と同じに読み返されるもの。
ページをめくりはじまたときから、
世界は変わる。ここはもうここではない。
そのすばやい移動。
1950年代、ペノブスコット湾のある夏の出来事がはじまる。
なんど読んでも一行一行、出来事は起きていく。
マックロスキーの『すばらしいとき』のはじまりだ。
くものかたまりが島に落としていく影。
突然、きりがはれた岬の上。
海にちらばるヨット、釣り船、モーターボート、がっしりした漁船・・・。
視界は、夏のみちたりた湾のなかを俯瞰し、
ふたりの姉妹に寄り添う。
イルカの息、羊歯が頭をもたげる音、ハチドリたちが鳴らす羽。
遠くからの音、微細な音も聞き逃さない。
やがて、ペノブスコット湾に嵐がやってくる。
「こんどのやつぁ ふきあがるぞ」
にわかに慌ただしくなる港、島、男たち。
ハリー・スミスが空をみる、
クロイド・スニーマンがあびたちの鳴き声に耳をすます。
ファード・クリフォード、アリス・ウェントワース、
スティーブン・デーバー、それにビクトリー・チャイムズ…。
嵐を前にして、
出てくる出てくる、さまざまな男たちの名が。
それだけで人生を語る勢いで出てくる。
嵐が去った後、倒木の根の穴に
姉妹は雪のように白い貝殻を何千とみつける。
インディアンの貝塚だった。
物語は夏のおわりにむかっていくが、
まだ珠玉の頁はつづく。
そして、ふたたびここに訪れることを予感して、
ゆっくりと本を閉じるのだ。

see you tomorrow!

『すばらしいとき』ロバート・マックロスキー著 (世界傑作絵本シリーズ・アメリカの絵本)


2009年10月03日
Today's Shot
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言葉の風

今朝は、昨夜からの風を残すものの青空がのぞき、
気持ちの良い天気だ。
起きてすぐ、窓から森を見下ろすと羽虫のようなものが
にぎやかに舞っていた。
よく見れば赤とんぼだ。求愛の頃合いなのか、
争いと睦みあいが空中ではげしく繰り広げられている。
山田耕筰の『赤とんぼ』は、夕焼け小焼けに飛ぶが、
恋に夢中な赤とんぼは、朝焼けに乱舞するらしい。
山田耕筰の作品に『この道』というやはり名作がある。
『赤とんぼ』とならんで日本人の愛唱歌ともいわれるが、
これらをじっさいに歌うとなると、
思った以上の高いパートに苦しくなる。
とても口ずさむというわけにはいかない。
哀感に満ちたメロディなのだが、
腹の底から力を入れて歌わなければ歌にならない。
オペラ歌手向きの歌かもしれない。
それでもいいメロディだ。いい詩だ。
この季節、ふっと、あれらの歌が鳴り響く、
心のなかで。
だれが歌っているのかわからないが、
まろやかな女性の声が朗々と響く。

see you tomorrow!


2009年10月02日
Today's Shot
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言葉の風

人間を撮ったドキュメント映画には、
かならず、ほろりとさせられるシーンがある。
つまるところ、人は死と愛に生きる生きものなのだろう。
人は、その現実と追想を表現により客体化することができる。
『パティ・スミス― ドリーム・オブ・ライフ』を観た。
パンクの女王ともいわれたこともあったが、
特別な才能を与えられた人間であるということが、
映像の一コマ一コマに忠実に映し出される。
存在自体が表現なのだった。
しぐさ、視線、横顔の陰影、魔女のような髪に宿るもの、
指、先のふくらんだ革靴、声のひびき・・・
ほとばしる詩句より強力だ。
同志とも恋人ともいわれる写真家メイプルソープが
魅入られたのは、
パティ・スミスという瞬間、瞬間の存在なのではなかったか。
この映画が初監督となるスティーヴン・セブリングが、
スチールカメラマンであることは偶然ではない。
彼女を11年間に亘り撮り続けたというが、
そこにはアメリカという風景がつねに流れ続けている。
ロンドンでも東京でもどこでも。
愛と死はだれにでも起こるが、
パティ・スミスには戦いがあった。
ブッシュのアメリカへの反逆も記録されている。

see you tomorrow!


2009年10月01日
Today's Shot
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言葉の風

山道に蜘蛛の巣が高々とかかっている。
見上げると大きなジョロウグモが中央に陣取っている。
そこにスズメバチがやってきて、しきりに攻撃をくりかえす。
まわりにいた小さなクモたちはすばやく退散したが、
一歩も引かずに“大女郎”はスズメバチと対決する。
スズメバチとて巣網にかかれば、万事休す。
食うか食われるか、
思いがけないミニスペクタクルに喝采をおくった。
芥川龍之介のあまりにも有名な「蜘蛛の糸」。
生前に悪事をはたらき地獄へ堕ちた男を
お釈迦様が一本の蜘蛛の糸を垂らして
極楽へすくい上げようとする。
しかし、糸にしがみつき、あとに続いてきた連中を
蹴り落とそうとした姿をみたお釈迦様は糸を切り・・・。
蓮池からのぞき見た「地獄」という別世界での出来事だ。
昆虫の殺すか、殺されるかの戦い、そんな光景は
人間から見ればちょっとした見ものか、取るに足らない些末事だ。
しかし、人間たちが犯す残酷な事件、
これは聞きたくも、読みたくもないが、
決して、耳目から遠ざかることはない。
そんな世界にわれわれは生きている。
あまりに気分がめいるとき、
どこかでわれわれを見下ろしている
超然とした存在があることを夢想する。
嫌悪も恐怖もなく、
人間の起こす悲惨など取るに足らない出来事だと
ただ、見つづける存在を。

see you tomorrow!


2009年09月30日
Today's Shot
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言葉の風

大相撲千秋楽、白鳳と朝青龍の取り組みは
いま思い浮かべても胸が高まる。
電光石火というのだろうか、立ち会い後
頭から当たっていった白鳳はそのまま相手を土俵際まで
突き押し、一瞬の反撃のすきを与えることなく、
朝青龍を左腕一本で赤子のようにころがした。
ぼう然とする朝青龍。
優勝決定戦は、
あれだけの相撲をした後は・・・と、
解説者の北の富士が懸念したように
白鳳は敗れた。さわやかな顔をしていた。
結びも決定戦もどちらも力を出し尽くした。
「相撲道」という言葉がむかしからあるのかどうかわからないが、
相撲は、「武士道」をいまに残す国技だと、聞いた。
1年近く居合の道場に通ったことがあるが、
いちばん大変だったのは道場内での礼儀作法だった。
礼に始まり、礼に終わる。
正直、ここまでやる必要があるのかという疑問も生じた。
生前お会いしたことはないが、道場をひらいた先生は、
かつて幕内まで上りつめた力士でもあった。
門下の先生への敬慕は強く、ことあるごとに逸話を聞かされた。
その話から「胆力」のある方だったというのがイメージとなった。
なにごとにも動ぜず。
礼に次ぐ「武士道」の教えとなったが、
これこそもっとも難しいことだった。
朝青龍のやってしまったガッツポーズ、
「品」の問題ではなくて「道」の違いではなかろうか。

see you tomorrow!


2009年09月29日
Today's Shot
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仕事の責任が重くなる。
体力がみるみると落ちてくる。
子どもが難しい年齢となる。
父母が老いてくる。
病はいつ襲ってくるかわからない。
弔事がふえる。
人生の後半などそんなもんだろう。
腹を抱えて笑い転がったことはむかしのこと。
でも、そんなときにも寂しさは内蔵のように
決して自身から抜け出ることはなかった。
青年期の孤独はつらかったが、
不思議なものだ。いまは、寂しさはやすらぎとなった。
それはこれからさらに貴重な時間となっていくだろう。
友人たちも同じ、それぞれが独りを大切にしているはずだ。
四方八方、ますます疎遠となる。
何日か前のことだ。椅子の後ろの本棚に入れっぱなしで
まだ、開いていない本をみつけた。
白地の背に墨一色、明朝のうつくしいフォントで
『世界はうつくしいと』と書かれてあった。
長田弘さんの詩集だった。おそらく買って2ヶ月は経つだろう。
いいタイミングだった。
ほんの数行、目を落とせば世界は変わる。
ここはここでなくなる。
机や焼酎、窓、小鳥、エスプレッソ・・・
書かれているのは日常のことなのだが、遠い風景がある。
「なくてはならないものは、けっして
 所有することのできないものだけなのだと。」
電車のなかでもなければ、カフェのなかでもない、
ほんとうの独りの場所で読む。
こうした言葉たちが「なくてはならないもの」だが、
たしかに言葉は所有するものではない、共有されるものだ。
だから独りであっても孤独ではない。

see you tomorrow!


2009年09月28日
Today's Shot
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言葉の風

ちょうどいまぐらいの季節に
花巻の新鉛温泉に3泊ほど投宿したことがあった。
ひなびた、いい宿だった。
近所を歩くと大きな赤い文字で「熊出没!注意!」
という看板がいたるところに立っていた。
帰りに高村光太郎が独居自炊生活をした山荘を訪ねた。
敗戦後、空襲で焼け出された光太郎が
7年間にわたり隠せいした住まいは
おどろくほど狭く簡素だった。
囲炉裏に、ひとり食事をし、ひとり横になる
方丈の空間があるだけ。
夏はともかく、冬には雪が夜具に吹き込んだという。
畑で野菜をつくり、米は近所のお百姓から分けてもらって
食いつないだが、水も空気もうまい。
晴耕雨読の日々に『暗愚小伝』が生まれた。
戦時中、国威高揚の作品を書いてきたことへの
自責の念が色濃くあらわれた詩篇だ。
戦争賛美者だった連中が手のひらを返したように
民主主義をとなえるなかで、ひとり自らを断罪した。
光太郎は、クワを握り、ペンを握り、
62歳から69歳までこの山荘で暮らした。
山荘といっても荒壁がはりめぐらされた粗末な小屋だ。
よくこんなところで、とその時は思ったものの、
今は少しちがう。
高齢にして、生活環境が激変したにも関わらず、
厳しい自然環境のなかでも生き抜いたひとりの人間がいた。
そのことにまず勇気づけられる。

see you tomorrow!


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