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Today's Shot / 言葉の風

2009年10月25日
Today's Shot
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言葉の風

ヘヴィメタは苦手だ。
唯一、ジミー・ペイジと競演したThe Black Crowesという
アメリカのバンドのCDを持っているだけ。
それもいま、ほんとんど聴くことはない。
アンヴィルというグループの存在は知らなかった。
1987年に来日してロックフェスティバルに出演したというから、
往年のヘヴィメタ・ファンには記憶されているかもしれない。
ドキュメンタリー映画『アンヴィル!』が昨日から都内で封切られた。
〜夢を諦めきれない男たち〜というサブタイトルがついている。
メジャーバンドとして何千何万もの観客を前に演奏したが、
栄光もつかの間、その後30年も鳴かず飛ばずの歳月を費やしていく。
リードギター&ヴォーカルのリップスとドラムのロブが、
結成以来のメンバーでバンドはいまも存続している。
活動は地元の小さなライブハウス。
喰っていけないので建物解体や運転手を職業としている。
妻も子どももいる。理解者も反対者もいる。
期待をかけて敢行したヨーロッパツアーは、
惨めなシーンがこれでもかこれでもかと繰り出される。
ド突き合いのトラブルもある。
50歳を過ぎた男たち。
夢を諦めきれない、とはこんなにも悲劇なのか!
大金を援助してもらい、大物プロデューサーのもとでCDをつくる。
悪くない。EMIトロントから電話がかかる。
リップスが受話器を取る。顔がかがやく。
一瞬、ティーンエイジャーがあらわれた。
あごの肉がだぶつき、疲れ果てた表情のオヤジではなく、
どんな幸運をも、つかむことができる10代の少年だ。
50を過ぎた少年ふたり。時間が残り少ないことをよく知っている。
ビッグになることが夢だ。
クソみたいな仕事と吐いているが、その人生はぜんぜんクソではない。
ヘヴィメタがますます苦手になった。
でも、ふたりの生き方が好きだ。

see you tomorrow!

『アンヴィル!夢を諦めきれない男たち』公式サイト http://www.uplink.co.jp/anvil/


2009年10月24日
Today's Shot
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言葉の風

凡庸に生きてきたものにとっては、
思い及ばない波乱の人生を生き抜いてきた人、
それが絵本作家、八島太郎だ。
戦前、プロレタリア活動で何度もの投獄と拷問を経験。
盟友、小林多喜二を獄中に失い、その最後の顔を描く。
米国へ亡命。先の戦争では、
米軍情報部で日本人に反戦を呼びかける活動を行う。
日本では売国奴と罵られ、
米国では敵国人として憎まれたこともあった。
代表作『からすたろう』も『あまがさ』も『村の樹』も
そうしたつらい過去や悲劇は描かれていない。
ただひたすら子ども時代や子どもを描いた絵本の傑作である。
図書館へ行った。
2冊所蔵されている『からすたろう』が2冊とも貸し出されていた。
いじめがモチーフになっていることもあるのだろうか・・・。
ふっと、どこかで暗いまたたきを感じた。
再会を望んでいた『あたらしい太陽』『水平線はまねく』は、
残念ながら、地元の図書館にはなかった。
いずれも絶版本。
苦難に満ちた八島太郎の自伝的作品だ。
あれほどの体験が、
淡々と簡潔に描かれているところに凄みがあり、
だから忘れられないのだろう。
いや、忘れてはならない作家であり、
残さねばならない日本の遺産的作品であることは間違いない。
街の図書館は遺産を守るアーカイブの最前線でもある。

see you tomorrow!


2009年10月23日
Today's Shot
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言葉の風

指ではなく、手のひらでもなく、
つなぐのは手。
子どもと手をつないで夕暮れの道をのんびりと歩く。
道草のほうがだんぜんおいしいから、
お腹がすいていても急がない。
木星が上がっていて、月はマンションの裏にかくれている。
中学生の乗った自転車が猛スピードで坂道をくだっていく。
脇を通り過ぎるスローモーションの砲弾のようだ。
コンビニで買ったレモン味のグミを一粒わたして、
もう一度、手をつなぐ。
子どもが、コオロギが鳴いているのを教えてくれたので、
近いコオロギと遠くのコオロギと
どこにいるのかわからないコオロギで
耳の中がいっぱいになる。
きのうの夜、流れ星をふたつ見たことを話した。
かわりに、
ちびまるこちゃんのあたまにどんぐりが落ちてきた話を
してくれた。
流れ星は動物園には入っていないので、
すぐには実物をみせることができないだろう。
コオロギの鳴き声が絶えない。
しずかな夜。まだ2時半。
今宵、オリオン座流星群は雲の上だ。

see you tomorrow!


2009年10月22日
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女優、南田洋子さんが昨日、息を引き取った。
テレビ画面に大きく映し出された長門裕之さんの表情が胸を突く。
長門さんは、4年間、認知症となった妻洋子さんの介護にあたっていたという。
お互いが歳を取ったなかでの介護の苦労は想像に難くないが、
そのことが人生をよみがえらせてくれた、と長門さんは語っていた。
20年ほど前、御茶ノ水の某病院に入院していたときのことだ。
共同トイレ近くの洗面所で、南田洋子さんを見かけたことがあった。
パジャマ姿の大女優が目の前にあらわれたので驚いた。
その後も、あたりを気にせずにスタスタと廊下を歩いているのを何度か目にした。
当時50歳を過ぎていたと思うが、
背筋がまっすぐに伸びたうつくしい人だった。
テレビで観るときと同じトーンで看護婦さんや医師と話をしていた。
患者とは見えない南田さんのその時のイメージが鮮明で、
認知症となった後の映像を目にしたときはショックだった。
最愛の妻を失った悲しみがテレビを越えてこちらまであふれてくる。
「これから洋子のいない世界に、ぼくは踏み出していく…」
長門さんは振り絞るようにいった。
これほどの哀惜をもたらせた人と出会い、
人生をともにすることができたのは、しあわせだった。

see you tomorrow!


2009年10月21日
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『宇宙家族ロビンソン』というテレビ番組があった。
アメリカの子ども向け人気ドラマだった。
放映されていたのは1960年代後半。
太陽系外に人類が移住する計画のために
家族が「アルファセンチュリー星」へとむかうのだが、
スパイが宇宙船に侵入しその計画の妨害をする。
物語のはじまりはそんなところだった。
スパイはドクター・スミスと呼ばれていた。
悪役のはずだったが、回が増すごとに独特のキャラクターで
われわれを惹きつけた。いつのまにか、ドクター・スミスは、
ロビンソン家の末っ子ウィル少年とコンビを組んでひと騒動を起こす、
いわばドラマの中心的な存在となっていった。
吹き替えは、熊谷一雄で、「きょうはとってもデリケート」という
決めセリフが記憶にすり込まれている。
開拓団の長であるロビンソン博士と宇宙船のパイロット、ダン少佐が
本来、ドラマの中心となってしかるべきなのだが、
なぜかそうではなかった。
この二人はすぐに権威や腕力という力を行使した。
当時、小学生だったが、子どもの視線からも
彼ら(の役柄)はあまりに単純にみえた。
自己中心的だが、弱虫でデリケートなドクターのほうが
断然おもしろかった。
地球へ帰りたいドクターが時空間を超えるのぞき穴から
なつかしい地上や人々をながめるシーンがあった。
せつない場面でハープの効果音とともに印象に残っていた。
いま、窓のむこうの木々のすきまから灯りがみえる。
穴から光がもれるような、みなとみらいの街の灯り。
その光景に、ドクター・ザックレー・スミスを
思い出してしまったのだった。

see you tomorrow!


2009年10月20日
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言葉の風

19日前後は、オリオン座流星群がいちばん見えやすいという。
今朝4時頃から空を仰ぐ、快晴の深い群青色の空、
月もなく、絶好の観測条件。
ただ、オリオンは天頂近くまで上がっており、
部屋の窓から見るにはつらい位置だ。
その下で煌々と輝くシリウスをながめながら、
流星のおこぼれに期待していると、北西の空間から
ちいさな光の玉がすっーと現れて、南東へとまっすぐに進んでいく。
輝度はシリウスよりも低いが、かなり明るい。
点滅はせず、星が線を引いたように移動していく。
おそらく、国際宇宙ステーションだろう。
あとで、宇宙航空研究開発機構のサイトで調べたら、
この時間帯だと横浜上空から見える可能性は高いとある。
双眼鏡で追うとわかるが、ものすごい速度で飛んでいる。
そこに人間が乗り込んでいるとは信じがたい。
宇宙飛行士とは、半宇宙人のようなものだ。
数年前の映像資料だったが、
先日、テレビでアポロ11号のオルドリン飛行士が
月へむかう途中、船外に説明できないような物体を
乗組員全員が目撃したと話していた。
ヒューストンへそのことを伝えると、帰還命令が出されると考え、
その時はその事実を隠していたという。
こうした目撃は驚くほどのことはではなく、
宇宙飛行士にとってはよくあることだともいっていた。
歴史的な宇宙飛行士のUFO目撃発言に驚くよりも、
謎の物体に追いかけられようがどうしようが、
月へ降り立つことへの彼らの執念に驚かされた。

see you tomorrow!


2009年10月19日
Today's Shot
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言葉の風

どうして、わたしはわたしであって、
あなたではないのだ。
あなたとわたしを隔てるものはなんなのか?
わたしがわたしでありつづける意識、
そもそも、「意識」とはなにものなのか。
禅問答のようなやりとりが、心のなかで起こる。
もちろんこんな気取った言葉を交わせてるわけじゃない。
瞬間的な、閃光に照らされたような疑問の空間が生まれる。
その空間は、心のなかでも、あたまのなかでもないかもしれない。
とても言葉にできない。
それにしたって、なんでオレはオレなんだろう・・・。
つぶやきだけが残される。
最近は少なくなったが、
奇妙な夢をみる。奇妙でない夢などないが、
インフラが異なる世界の夢はあまりにも奇異だ。
簡単にいうと、わたしじゃないだれかの夢を
わたしが見ている、という夢だ。
「ピカピカの釘の入ったい箱が棚にならんでいる。
 でも釘は足りなくなりそうだった。
 明日の仕事に差し支えがでる。
 発注しなくちゃならない…」
その夜、「わたし」は、大工の棟梁かなにかだったような気がする。
ほかにもなにか気がかりなことがあり、
頭を悩ませている。もちろん明日の大工仕事のことで。
大工や大工という職業とはいっさい関わりはない。
しかし、明らかにその夜の数十秒は親方だった。
親方の夢とつながったのか、
親方の意識と自分の意識が混線を起こしたのかわからない。
「わたし」というインフラから脱却した夢をときどき見ている。
あっ、また見た! しかし、そのほとんどは朝にはきれいに消されている。
ユングのいう無意識領域での出来事なのだろうか…。
「わたし」の夢もだれかに食べられているかもしれない。

see you tomorrow!


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