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Today's Shot / 言葉の風

2009年11月08日
Today's Shot
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言葉の風

ブーッ、ブーッと低い音がしたかと思うと、
開いた窓から大きなハチが入ってきた。
体長4、5センチはある。がっちりとしたカラダだ。
黄色と黒のまだら模様がまがまがしい。
オオスズメバチの侵入である。
あわててレースのカーテンをひっぱり、
ガラス窓の裏側にとどまらせる。
目と目が合った、ような気がした。
ひょっとするとコイツは、
初夏に下の「ねこの谷」で遭遇したあのオオスズメバチではないか。
あれ以来、野良猫たちが暮らす暗い林に下りていく度に
用心していたが、その姿を見かけることはなかった。
しかし、かならずふたたび遭遇するだろうと思っていた。
秋は攻撃性が高まり危険という情報も耳にしていた。
しかし、ここはマンションの5階である。
眼下に森と谷があるからといっても、なにゆえ、わが仕事室に入ってくる。
「ねこの谷」では、階段の下のほうから、
じっとこちらを睨んでいたアイツだったが、
今度はこちらが下からアイツを睨んでいる。
家人を呼んだ。呼ぶほどの事態ではなかったが、
このちょっとやっかいな闖入者を見せ、驚かせたかった。
それを退治するシーンも見て欲しいという子どものような気持ちもあった。
が、オオスズメバチは動かない。カーテンを箒がわりに払おうとしても
ガラス窓にビシッとはりついたまま、びくともしない。
カーテンの端を持つ手にその屈強さが伝わってくる。
おれは単なる虫けらじゃないぞ、そういってるようだ。
野生のオーラを発している。
虫取りの網をつかいながら、なんとかなだめるようにして
外へ出て行ってもらった。

see you tomorrow!


2009年11月07日
Today's Shot
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言葉の風

3畳に満たない南向きの板の間がある。
もうひとつの仕事場兼読書スペースなのだが、
天気のいい日は、大きな窓からどっど光がふりそそぐ。
そんなときは何もせずに日光のなかに入り、
目をつむって過ごすことにしている。
というか、それ以外になにもできないのだ。
たしか4歳だったか、保育園の窓ガラス越しに
太陽をじっと瞬きもせずに見つめたことがあった。
それ以後、まっしろく輝く真円の太陽が記憶の空に張り付いたままだ。
目によくないとはわかりつつも、今年の夏、
ふたたび太陽を直視してみた。
あの時と同じ太陽があった。
遊戯室の板ガラスを通して見つめた太陽とまったく同じだった。
なぜかほっとした。記憶が現実だったことに安心したのかもしれない。
ときどき現実の記憶なのか、夢や空想を記憶したことなのか、
わからなくなってしまうこともある。
ブルーノ・ムナーリ『太陽をかこう』という絵本がある。
ムナーリはイタリア人。
太陽を主人にした絵本には、もってこいの作者だ。
もちろんアート感覚も秀逸。
マッソンやミロのリトグラフ、勅使河原蒼風のくろい太陽まで登場する。
北イタリアの岩にほった原始人の太陽。
テンペラとふでで描かれた太陽。指で描かれた太陽。
フェルトペンで描かれた太陽。にんげんの顔をした太陽。
ひつじのおなかの下にかくれた太陽。きりえの太陽。
うすめで見た太陽。草のむこうにしずむ太陽・・・。
いろいろな太陽がいっぱい登場する。
ほんものの太陽は、まぶしすぎてなかなか見ることはできない。
でも、絵の太陽ならいくら見てもへっちゃらだ。
太陽はひとつだけど、人は無限に太陽を描くことができる。

see you tomorrow!

太陽をかこう (至光社国際版絵本)


2009年11月06日
Today's Shot
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言葉の風

風船がひざの上にのせられて、
油性マジックが渡された。
顔を描いてよ、と子ども。
青い大人の頭ほどの大きさの風船に
赤いマジックでまず目をいれる。
吊り上がった目だ。鼻はつぶされたかたち。
その穴からは火花のように鼻毛が飛び出している。
口は耳元まで裂けて、びっしりと歯がならんで、
ミシミシと音を立てそうだ。
描きながら、ああ、つかれているなあ、と思う。
つかれていることに、自分で自分におこっている。
その顔はちょっとこっけいだ。ちっともこわくない。
子どもは不満そうにヘタクソな顔風船を取り上げると、
やがて、布団の上でけったり、なげたりの大騒動。
いっしょになってけったり、なげたり、
ちいさな顔が描かれた大きな黄色い風船や
赤い風船もなかに入って、キャッキャ、キャッキャと
やりあっていると、そのうちにつかれも飛んでいく。
目を吊り上げたままの青い風船もけとばされて
どこかに飛んでいく。そのままどこかにいってしまったが、
ここはマンション。お城でも迷宮でもない。
魔法使いが消してしまったんだよ、という。
昨夜は、ひさしぶりにぐっすり眠れて、
本日は快調。

see you tomorrow!


2009年11月05日
Today's Shot
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言葉の風

ひさしぶりに上京。といっても、
1時間もかからずに東京の中心に地下鉄でもぐり込んでいく。
電車のなかで宮台真司の近著『日本の難点』を読んでみた。
知らない学者の名が散りばめられて、知らない著作からの引用が
次から次へと繰り出される。
文体自体にスピード感があるわけではないのだが、
彼の早口でまくしたてるような口調の記憶が
せき立てるようにページをめくらせる。
消化不良を起こしそうだ。
秋葉原殺傷事件の論評を論評して、
「格差社会が悪いというより、
格差程度で行き詰まる社会的包摂性のなさが悪い」
という考えにはなるほど、とも思う。
しかし、やっぱり格差社会も悪い。もちろん包摂性のなさも悪い。
「格差社会」も「包摂性のない社会」も同根の病巣からきているはずだ。
あの事件を耳目して、ああ、やっぱりまた起こったか、
という思いをした人は多かったのではないか。
なぜ? という問いに、
すべての回答が正解になりそうなほど複雑にからみあった世界を
われわれは生きている。
電車が地下から地上に出る。
おびただしいマンションの窓が太陽をはね返している。

see you tomorrow!


2009年11月04日
Today's Shot
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言葉の風

ユニクロにカットソーを買いに行くも
店内はバーゲン会場のような人でごった返している。
レジには長蛇の列。ゲットした商品を元に戻して、
ショッピングセンターを出る。
陽が沈みかけ、空がオレンジ色に染まっている。
富士山を眺めることのできる丘の上まで10分とかからない。
駅周辺のにぎわいからすれ違う人もほとんどいない道を登って展望台へ。
富士はあわい西空に黒々としたシルエットをみせている。
底に沈んだ円形劇場風の野外ステージではバトミントンに興じる親子。
ガランとした客席には夕焼け雲を眺めてタバコを吹かす中年男と犬一匹。
一組のカップルがゆっくりと人気のないコースに入りこんでいく。
人の通りそうもない谷戸側の道を下り、枯葉の積もったベンチに腰をおろす。
しばらく目をつむり耳と鼻だけに意識を集中してみる。
ヒヨドリ、モズの鋭い鳴き声、カラスの羽ばたき、
藪からガサッガサッと何かが這う乾いた音。
土の湿気を吸ったつめたい空気を胸いっぱい吸いこむ。
もう少し、歩いてみたい。
旧街道を、川を越えてもうひとつの丘をめざす。
陽はほとんど落ちかけている。あたりは薄闇。
太古、人々が暮らしていたという丘陵を裏側より登る。
ふり返ると木々の間からまっくろい富士山がのぞく。
丘に立つ直前、目の前の稜線から白い鏡が突然あらわれて
全身が光に照らされる。
満月が東から昇ってきたのだった。
頂上に立ち、街明かりを街そのものを
イメージでいっせいに消してみる。
すると、闇に沈みはじめた西の山麓や
東の海側でチロチロとちいさな古代の火が上がるのだった。

see you tomorrow!


2009年11月03日
Today's Shot
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言葉の風

「谷根千」と呼ばれている東京下町に12年ほど暮らしていた。
散策はもっぱら、谷中の寺町や本郷界隈、
そしてアメヤ横丁、上野公園など。
自転車で足を伸ばすと、その範囲はぐっと広がり、
東は隅田川の吾妻橋から西は神田川の面影橋、
南は皇居、千鳥ヶ淵、北は飛鳥山、滝野川までをテリトリーとした。
これはあくまでも近所の散策の範囲。
東京の景色という景色は、昼も夜も朝も存分に味わった。
あの頃、たった1キロでもいいからだれともすれ違うことなく、
歩ける道を夢想した。
都会にいてなにがいちばん疲れるかといえば、
他人の顔を見ることと、自分の顔が見られることに尽きる。
どちらもうつくしくない時のほうが多い。
2度だけ、東京のまんなかでその夢想が実現しそうになったことがある。
ひとつは真夜中、東宮御所の安鎮坂から四谷にかけての道。
もうひとつは冬の夕暮れ、明治神宮の森の道。
安鎮坂では皇宮警察官が闇のなかからじわりとあらわれて驚かされた。
神宮の森はたぶん夢が叶ったと思うが、
1キロにはたして達していたか、ちょっと自信がない。
逆に人混みで楽しい場所もある。
浅草寺の仲見世通りだ。
群れのなかの“湯浴み”とでもいおうか、
リラックスしていることに意外に思う。
あれだけ次から次へといろんな顔がやってくると
キャパオーバーとなってスイッチが切られるのだろうか。
切られたのは、自意識というスイッチかもしれない。

see you tomorrow!


2009年11月02日
Today's Shot
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言葉の風

昨日、NHKBSで先日亡くなった加藤和彦さんを偲んで
7年前に行われた「ザ・フォーク・クルセダーズ 新結成記念 解散音楽會」を
放映していた。当時のメンバー、きたやまおさむは、
いまでは臨床心理学の学者さんで、
舞台に立つそこだけ空気感がちがうのが気になったが、
不参加のはしだのりひこに代わって小柄な坂崎幸之助が真ん中に位置し、
往年の高低差が再現される。
コミカルな歌も哀愁感ただよう作品もていねいに自然体で歌う
加藤和彦に惚れ惚れした。
まどみちお作詞『やぎさんゆうびん』など童謡を歌っても
さまになる男はそうはいないだろう。
観客と向き合っているという気負いがまったくない。
ときどきだれにむかって歌っているのだろうと思った。
薄暗い観客席にテレビカメラがむけられると、
はっと我に返る。
そこには60歳近い人たちの老いつつある顔、顔、顔が
灯籠流しのようにいくつもいくつも映されていく。
そこにシラガとなった自分の顔も重なる。
しまった! もうこんなに歳をとっちまったんだ!
浦島太郎が玉手箱を開けたような気分だ。
でも、禿頭になろうが、バンジョーをかき鳴らす加藤和彦の姿に
やっぱりすてきだなあ、と思うのだった。
あんなふうに年を取るのなら悪くない。

see you tomorrow!


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