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Today's Shot / 言葉の風

2009年12月07日
Today's Shot
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言葉の風

2009.12.7
眠る前、本を数ページめくって、別世界に飛び、
そのまま眠りに落ちこみたい。
そんなときは掌篇作品を読むにかぎる。
太宰治『酒の追憶』を読む。
天才の筆力というのか、冒頭、さほど書きたくもないような事柄を
書きはじめた感があったが、
生涯随一の泥酔した際のはなしが振るっていて、おもわずこちらまで、
「世界が自分を中心に目にもとまらぬ速さで回転」するようであった。
太宰を悪酔いさせたのは、ひや酒だった。
いまでこそ、吟醸、大吟醸といって“冷酒”がもてはやされているが、
清酒をひやで呑む行為は、品がないことだったという。
燗酒が日本酒の常道だったのだろう。夏ならば燗冷ましとなるのか。
また、独酌を好むものは野卑とも見られかねなかったという。
コップ酒などもってのほか。
こうしてみると日本酒という酒は、
茶の道とはいかないまでも、かつて暗黙の嗜み方というものがあったのだろう。
戦前まですべての日本酒は純米酒だった。
戦後、日本酒は醸造アルコールと糖類の添加が普通となって地に落ちた。
太宰も、「その変転」に呆然となったようだ。
いまはスーパーでも純米酒が手に入る。
大吟醸はさすがにいけないが、
吟醸でも燗酒にすることでまた違った味わいを楽しめるという。
試したことはない。
もっぱら純米一本道。最近では、生もと造りを好む。
生もと造りは、櫂で蒸米を混ぜ合わせる手の掛かる作業を要する、
むかしながらの醸造法だ。
ちょうどこの時節、酒蔵ではこのつらく厳しい仕事が行われている。
盃でじっくり味わう、燗酒の季節がやってきた。

see you tomorrow!


2009年12月06日
Today's Shot
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言葉の風

今朝は雲ひとつない好天に恵まれている。
青空の下、冬の空気のなんとおいしいことよ。
富士山もクッキリとみえて、
これ以上の白色はないというほどに純白に輝いている。
けれど、この白い物質の中心はチリである。
塵芥(ちりあくた)のチリとはなにか。
火山や火事から吹き出された灰、花粉、土ぼこり、
海上をただよいながら蒸発した塩分、
植物に付着していたバクテリアの死骸・・・。
どこまでも軽く、そして微細なものをいうらしい。
物の最終形とでもいおうか。
物質のなかでも空高く舞い上がることができる性質をもつ、
それがチリという“正体”ではなかろうか。
写真絵本『雪の結晶ノート』(あすなろ書房)は、
そのチリから生まれた雪のうつくしい姿を紹介してくれる。
どうやって雪の結晶がつくり上げられるのかを教えてくれる。
あの富士山を輝かせる、ひとつひとつの雪の中心はチリである。
チリに水蒸気がくっつき、水つぶになり、やがて氷つぶになり、
六角形の結晶となり、枝ができて、どんどん成長していく。
チリはまるで雪の種のようなものだ。
雪の結晶は、雲のなかでしかつくられない。
その上でも下でも雪の結晶は生まれないし、成長もしないのだ。
書店でこの絵本をひらき、雪の結晶の写真が目に飛び込んできた瞬間に
この本は必要であると直感した。
無感情の世界のもつ、うつくしさに惹かれたのだろう。
星の写真は、光と色のあざやかな無感情世界だが、
雪の結晶は、明瞭なかたちの美が琴線に触れる。
毛糸に乗った樹枝状結晶。こんな可憐なかたちのものが
空から落ちてきているのだから・・・
驚かざる得ない。
雪が待ち遠しくなる。

see you tomorrow!

雪の結晶ノート


2009年12月05日
Today's Shot
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言葉の風

クラシックの演奏家をめざす人たちは、
プレイヤー=競技者であって、アーティストではない。
その大半はという意味でのはなし。
プレイヤーという領域を越えていなければ、
本当にすぐれた演奏家とはいえない。
昨夜遅く、レオン・フライシャーのリサイタルがテレビで放映されていた。
4歳からピアノを学び初め、16歳でニューヨーク・フィルと競演、
エリーザベト王妃国際コンクールでの優勝、
3回ものグラミー賞ノミネートという輝かしい道を進んでいたとき、
37歳で突然、ジストニアという奇病で右手が使えなくなってしまう。
以後、長きに亘って闘病生活を余儀なくされる。
もちろん、演奏家として舞台に立つことは不可能となった。
音楽教授として、また指揮者としての道を歩んでいくが、
暗く辛い日々だったと、フライシャーさん自身告白している。
それでも毎日欠かさずピアノにむかいつづけたという。
突然やってきた病が、また突然去ってくれるのではと期待しながら。
そして、左手のための演奏曲を弾いていたという。
ポツリヌス毒素療法という対症療法が、たまたま功を奏して、
ふたたび両手での演奏ができるようになる。72歳のときだ。
発症から35年もの歳月が過ぎていた。完治ではない。
鍵盤の上でかたく曲がった右小指が執ようにカメラでズームアップされる。
痛々しいが、瞬発力ともいえる小指の伸びとタッチ、その運指は完璧にみえた。
顔に深くきざまれた皺、それを破るような崇高な表情が
繰り返し繰り返しあらわれる。
そして、ときおり湧きあがってきたメロディが口ずさませる。
歌いなさい、歌うように弾きなさい。
公開教授で腕っ節のいい音大生を諭す。
鍵盤をたたくだけなら赤ちゃんでもできますよ。
人類がなし得た最良のことは音楽を生みだしたことではないか。
バッハ『羊は安らかに草をはみ』を聴いているときにそう思った。
圧巻は、シューベルトの遺作『ピアノ・ソナタ第21番』。
この人生がなければこの演奏はなかった。
人がなぜ苦悩を味わなければならないか・・・。
「内面を磨くこと」にその意味があるのだろう。
強いよりも美しいが強い。

see you tomorrow!


2009年12月04日
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『いちご白書』という映画で、
主人公のサイモンが知りあったばかりの女の子リンダと
レコードショップで音楽を試聴するシーンがある。
ヘッドホンをかけたリンダが、大声でサイモンに呼びかけ、
まわりからジロリとにらまれる。
でも、そんなことおかまいなしに、はしゃぐ二人。
リンダ役のキム・ダービーはとびきりの笑顔をしていた。
映画は1970年に封切られた。
あの頃は、もちろんCDなどなくてレコードはすべてアナログだ。
レコードは、店員さんに頼めば試聴させてもらえたが、
そのやりとりは微妙だった。
本当に買ってくれるのか、聴いておしまいなのか、値踏みされる感じがあった。
直径30pのレコードを袋から取り出してターンテーブルにおき、針をのせる。
手間もかかるし、それにキズでもつけたら売り物にならない。
静電気でホコリもつきやすい。
それでもカネのない中学生だった頃、
河合楽器レコード店でお姉さん店員に甘えてよく試聴させてもらった。
月に一枚買えるかどうかだったが、毎日通い、
何枚も何枚もレコードをターンテーブルの上にのせてもらった。
ヘッドホンを頭にかけて、わくわくして待つ。
お姉さんがアームを手際よく持ち上げる。
針がレコードに落とされるドコッという音。
なにを聴いたのかほとんど憶えてないが、
あのこもった鈍い音を思い出すと、しあわせな気持ちになる。
昨日、近所のCDショップをのぞいたが、売場は寒々としていた。
あまりにも客が少ない。
音楽は確実にダウンロードの時代になっている。
ネットで試聴もいくらでもできる。動画でライブも見放題だ。
便利になった分だけ、音楽への傾注が弱くなってきたように思う。
そして、
音楽は、作品から商品へと姿を変え続けていることも事実だ。

see you tomorrow!


2009年12月03日
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言葉の風

夕刻、あたりはもうすでに闇にまぎれている。
買い物へいく途中、古墳のある丘を横切ろうとしたら、
東から満月が昇ってきて、芝の広場をきいろい光で照らしはじめた。
あたりにはひとっこひとりいない。
冬枯れした林からジャラジャラした宝石のような街明かりがもれている。
空は群青色に澄みきり、ポツポツと星があらわれだす。
きれいに刈られた芝が凪いだ海のようにひろがっている。
大きなクスノキが気持ちよさそうに月光を浴びているのを
買ったばかりのコンパクトカメラで撮影する。
フラッシュが大木の闇に吸いこまれて消えていく。
まだ、6時前だというのにこの暗さ。
あと2週間で冬至をむかえるが、
いまが一番、日の短さを実感する。
陰を極めて陽へとむかう。
その転換点にあたるのが冬至だ。
すこしばかり神聖な気持ちにもなる。
はたして陽へとむかうことができるのか。
陰を極めるとは、試練に晒されながら
力を尽くすこと、と解釈している。
人間のなかのこよみ、精神の暦とでもいおうか。
力を尽くせば、あとは天の運行に乗るのみ。

see you tomorrow!


2009年12月02日
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蝋燭に火をともす。
ただともす。
そして、ゆれる炎を黙ってみつめる。
冬のささやかなたのしみ。
いつからこんなことをするようになったのだろう。
たぶん、亡くなった人の冥福を祈って、
ともしたことからはじまったと思う。
なにも特別なことはしない、
テーブルにキャンドルスタンドをおいて、
そこに20pほどのまっしろい蝋燭を立てるだけ。
夜ならば電気を消し、炎だけをみる。
和蝋燭を欲しがったときがあった。
ハゼノキを原料とした和蝋燭は炎の色がうつくしいらしい。
ゆらめきも一本一本に個性があるという。
なによりもふつうのものと違って、
火を消したときに匂いが残らない。
しかし、これがなかなか売ってないのと値がはる。
表面に極彩色の絵柄が描かれたものが多く、
プレーンなものが意外と少ない。
しかたなくパラフィン製の蝋燭をともすが、炎は炎。
指の先ほどの大きさの炎に見入っていると、いろんなことに気づく。
ほんのちょっとした動きでもまちがいなく炎に影響をあたえる。
ときおり慢心をみすかしたようにせせら笑うこともある。
炎のなかには薄い闇もある。
そして炎のまわりには水紋のような透明なゆらめきがある。
あれはいったいなんなんだろう。
いやなことがあったときながめても、いやなことはなくなりはしない。
なんとなく炎がみたくなって、ともすと、
なにということなく、清められた気持ちがする。

see you tomorrow!


2009年12月01日
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吉祥寺に住んでいた頃、目と鼻の先に自転車屋があった。
ドロップハンドルの値の高そうなものしか置いてなかった。
店のあるじは、小柄でとっちゃんぼうやの冴えない風采だったが、
楽しそうに仕事をしていた場面が瞼に浮かんでくる。
もう、20年以上も前のことだ。
その頃、自分はまだ30歳そこそこ、町の自転車屋のおやじなど
電信柱ほどにも関心を払うことがなかった。
なのにどうしてそのおやじのことを記憶に刻み、
こうして思い出したりしているのだろう。
あるじは、よく近所で自分の組み立てた自転車の試運転をしていた。
夏は半ズボンにストライプのポロシャツという、
昔の10代のような身なりをして、短い足をのばしのばし、
裏路地をヨロヨロと走る光景を見かけた。
新品のシティロードタイプの自転車と、
とっちゃんぼうやのミスマッチを冷ややかに見ていた。
あるとき、その後ろ姿を見ていたら、
あるじの若かりし頃の残像のようなものを感じたことがあった。
あの頭は教室の後ろから見た、たくさんの頭のかたちのなかのひとつだ。
ぼんやりと、でもたしかにこのひとのなかにある生の少年を感じた。
このひとのなかにはまだ少年が入ったままなのだ。
そして、このひとは、おやじの鎧をきているのをすっかり忘れているのだ。
もちろんこの鎧は脱ぐことはできない。
ちょっと滑稽で、ちょっと悲しい。
自分もその年代となったようだ。
鎧のまま歩いていくのか、鎧を忘れて生きていくか・・・。
さて、どちらでいこうか。

see you tomorrow!


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