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Today's Shot / 言葉の風

2009年12月21日
Today's Shot
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言葉の風

つめたい朝の空気のなか、
はばたくリズムに合わせて
ハクセキレイの鳴き声が冴えわたる。
緑を残す木々でしきりに鳴いているのはメジロだ。
目と目を交わせば、すぐにどこかへ飛んでいく。
関東では晴天がつづいている。
一段と寒さも増した。
帰宅時間が遅くなった先日0時頃、歩きながら夜空を見上げると、
光の粒のまたたきをみつけた。
プレアデスとのひさしぶりのご対面である。
冬の澄んだ空気でなければ、なかなかお目にかかれない。
それに、みようと思った時間には窓から身を乗り出しても
みえない位置にあることが多い。
だから、空気がキンと張りつめた深夜、外に立ち空を仰ぎ見ての邂逅となる。
何年ぶりになるのだろう。首を折って数をかぞえる。
みよう、みようとすると星つぶはふるえ、にじみだす。
コツはちょっと焦点を外してやることだ。
でも、5、6個程度数えられるのがせきのやま。
奥の奥を匂わしながらプレアデス星団は空に光のしみとなっている。
プロキオン、シリウス、ベテルギウスの冬大三角もみごとだ。
オリオンはいうまでもなく、夜空の王者だ。
火星が東の空をはしっている。
見渡した星のなかでいちばん近距離にいるのはこの赤い星だ。
数分前の光から何千年前、何億年前の光まで地上に同じように落ちてくる。
澄みきった夜空では数えきれない時間の旅が雨のように降ってくる。

see you tomorrow!


2009年12月20日
Today's Shot
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言葉の風

南西の空に白い爪先が浮かんでいる。
吹き飛んでしまいそうな、ほそい三日月だ。
まっくろな川にむらさき色の夕空が映りこみ、
頭の上ぎりぎりを雁がはばたいていく。
だれもいない川辺の道。
遠く離れて大観覧車が花火のように光彩を放っている。
かわたれどき、夢かうつつかわからなくなる、
こんな時間の散歩がすきだ。
近所の道なのに世界の果てを歩いている気になってくる。
世界の果てなど言葉だけの、どこにもない場所かもしれない。
バーバラ・バーガー作『たそがれはだれがつくるの』をめくると、
このどこにもない世界が存在しつづけていることを知る。
絵本のなかにはかならず世界がある。
たかだか32ページの紙の上に封じられてはいるが、
このボリュームこそが人にもっとも、魅力的な
“世界の分量”ではないだろうか。
もちろん、量ではなく、
その世界がいとおしく思えるかどうかが、
絵本が絵本たり得るかどうかの試金石だ。
しかし、バーガーのこの本にはそれだけでないものの気配がある。
説明しようのない、なにか肝心なもので、
この本の世界自体が充足されているらしい。
なにかわからぬが大事なもの、
それを「神秘」という言葉で語っていいものか、
ためらいもあるのだが・・・。
なんどくりかえしページをめくっても飽きることがない。
そして深く充足感を得る。
それこそが、この絵本の神秘なのだった

see you tomorrow!

『たそがれは だれがつくるの』 バーバラ バーガー (著), Barbara Berger (原著), 今江 祥智 (翻訳)


2009年12月19日
Today's Shot
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言葉の風

ヒップポップのミュージシャンというので
キャップをかぶって、だぶだぶの服を着た若者がやってくると
構えていたら、あらわれたのは礼儀正しい大人だった。
握手を交わす。灰色がかった瞳にラテン系の彫り。
ホベルトさんは日系ブラジル2世、17歳のときに来日した。
はじめのころは、日本人に偏見の目でみられていると感じていたという。
自分もそれをはね返すように偏見の目でみる。
大好きなヒップポップを通じて知り合った日本人、
友情の芽生えと友達の広がりが彼をナチュラルに戻す。
ブラジルは多民族国家で、肌の色も宗教もさまざまだから、
つまらない偏見など無用の地なのだ。
昨夜は、横浜・戸塚のコミュニティラジオ局へ出かけた。
ホベルトさんが出演する番組収録の取材だった。
多文化共生の魅力を伝える番組のパーソナリティに抜擢され、
この日は初収録、相棒は日本人の大学生ラッパー。
はじめてのパーソナリティ役にやや緊張していたが、
リスペクトし合う二人は息もぴったり。見ていて微笑ましい。
さほど広くもないスタジオには、二人のほかに
NPOの代表を務める女性やその息子さんで
インド系ハーフのモデル並のイケメン高校生、
ボランティアの女子大生、「この惑星」の取材陣2名、
そしてラジオ局のディレクター。
年齢も職業も異なる、価値観もそれぞれ違うだろうが、
ミックスジュースのようなマイルド感がとてもここちよい。
東戸塚のふけゆく夜の街の一角、これも多文化的の彩りといっていいだろう。
不況でまっさきにブラジル人が大量解雇された。
これに抗議するデモでホベルトさんは、
先頭を切ってメッセージをラップに乗せた。
彼はいう、もともとヒップポップは社会を変えようという動きなんですよ。
かっこいいではないか。
終電近くになったので、取材を切り上げ駅に行くと、
ちょうど東京方面からの電車を降りた人がひとつしかない改札めがけて流れてくる。
人の川はとめどなく、しばらく切れることがない。
酒と消化中の食い物の匂いがたちこめる。
男も女も老いも若きも、
戦地から引き上げてきた軍隊のようにみんな一様にみえた。

see you tomorrow!


2009年12月18日
Today's Shot
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言葉の風

ついさっき、オケラが飛んでやって来た!
オケラ? そうです。土を掘って地中に暮らす虫です。
藤沢市に住む「相模の蝶を語る会」の沼田さんから、
E-mailでオケラの写真が送られてきた。
なんでも昨日散歩しているときに見つけたそうだ。
忙中に“オケラ”あり。
バッタ科らしいが、モグラそっくりのちいさな前足が愛らしい。
なんでも“収斂進化”というそうで、種類が異なっても同じ環境のなかにいると
似たような形態となるものがあるという。
バッタとエビとモグラを合体したようなキテレツな姿だが、
写真をながめているだけでも心和む。
子どもの頃から虫は大の苦手だったが、いつのまにか愛でるようになった。
部屋にクモがいてもそのままにしている。
そのうちに死ぬが、棚のすみに死骸がぱらぱらとくだけてあったりする。
さりげなくホコリになっているのだ。
昆虫の死にざまは、きれいなものだと感心する。
「おれ今日はオケラだよ」
そんないい方をする人もだんだんといなくなってきた。
カネがないことをいうのは承知。
ただ、どうしてそこでオケラがでてくるのだろう・・・。
どうも、あの胸をキュンとさせた前足にいわれがあるらしい。
手(前足)をぱっと広げていることからなにも持ってない、
つまり、無一文を表しているというのだ。
バンザイと手(前足)を上げているような姿も
“お手上げ”という意味になるそうだ。
オケラだよ! 明るく軽やかなひびきだ。
今度、ぜひ使ってみたい言葉だ!?

see you tomorrow!


2009年12月17日
Today's Shot
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言葉の風

普天間基地移設問題の年内決着は見送られた。
アメリカの圧力をとりあえずはかわしたというところか。
駐日大使の怒りの記者会見やアメリカ側政府筋、
米軍関係者からのプレッシャーなどがマスコミをにぎわせた。
基地周辺の住民に負担させているさまざまな犠牲を払拭したい、
その思いがこの移設問題の原点である。
同時に国民の思い、日本の意思がアメリカに受け入れてもらえるか否かにも
当然、注目が集まった。
というか、そもそもの原点は、
この日本国内の問題が日本人の思いだけでは解決できないという、
屈辱的な状況を変えたいことにあるはずだ。
これは、戦後ずっと日本人の心のなかに押し込まれてきたしこりでもある。
民主主義と自由をもたらしてくれたアメリカ。
しかし、その背景には軍事力という強力な暴力装置がつねにある。
そして、この暴力装置をアメリカ側の「置きたい」、
日本側の「置いてもらいたい」という相互メリットを具現化するかたちで
沖縄がその最大の拠点となる。
暴力装置からこぼれでてきた米兵の暴力事件は枚挙にいとまない。
中国は大国化をめざし、北朝鮮は依然として不安定な状況にある。
急転直下、いつ戦争が起こっても全然、不思議ではない。
現状、アメリカに守られている、それはまちがいないことだ。
有事、暴力装置は自動的、機械的に作動する。
われわれの考えや判断のおよばないところで戦争は勃発するだろう。
日本の“平和ボケ”は、じつは暴力装置にあやされての惰眠である。
暴力装置に守られている道以外の道を進む。
日本も日本人も誇りを持てる存在になるには、その道しかない。

see you tomorrow!


2009年12月16日
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言葉の風

シンクロニシティと呼ばれる現象がある。
ふたつ以上の事柄が偶然、かつ同時的に
あたかも意味があるかのように結び合う。
「共時性」とも訳される。
はじめて見る珍しい名字の人と会った帰り、寄り道をしていたら
同じ名字の表札を発見して、おどろいたことがあった。
もしそれをなにかの暗示とみた場合、たとえば、
その人は自分の人生に大事な人になるかもしれない、などという
解釈にもなりかねない。
シンクロニシティは、毎日のように起こっている。
起こらないほうが不思議なほどだ。
単なる偶然、無意味で些末なことも多いが、
仕事では、この共時性がビンビンと起こり、
資料探しやプランを練るとき、役に立つ。
それがなければ、仕事は乗らないし、思うように進まない。
ただ、仕事が成功するかどうかについては、
シンクロニシティにはまったく関係しないようだ。
だから、神様が味方しているわけでもなんでもない。
「無我夢中」がそのときの神様であり味方である。

see you tomorrow!


2009年12月15日
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言葉の風

先週、オバマ大統領が「ノーベル平和賞」授賞式でスピーチを行った。
そのなかで「世界に悪は存在する」という言葉が発せられた。
アル・カイーダを示しての発言だった。
この言葉には違和感をおぼえた。
アル・カイーダにとってもアメリカは世界のなかの悪の権化である。
悪いのはおまえだ、いや、オマエのほうがもっと悪い。
悪をなすり合うのは子どものけんかでもあること。
人をあやめる、盗む、犯す・・・悪い行いはある。
しかし、悪そのものが存在するとは思えない。
人は悪魔ではない。
「わたしたちが生きているあいだに、暴力的紛争を根絶することはできない」
「今後も戦争が起こるだろう・・・」
オバマさんから悲観的な言葉がくり返される。
平和を讃え、平和を願う場所で。
まるで戦争が永遠につづき、そこに関与していくことを
あらかじめ弁明するかのようなスピーチではないか。
悪い行いは制御されることもできよう。
許しを得ることもあるだろう。
しかし、「存在する悪」と戦うというのは
相手を根絶するまで戦わなくてならない。
「暴力的紛争を根絶することはできない」のは
お互いを悪の存在としてみているからだ。
人間としてみなければなにもはじまらない。
そんなことを考えさせる受賞スピーチだった。
平和以前の問題がかくされている。

see you tomorrow!


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