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Today's Shot / 言葉の風

2009年12月31日
Today's Shot
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言葉の風

フィヨルドの海に白い船を浮かべて、
釣り糸を垂らしている人。
ラス・カンパナラス天文台で、
口径6.5mのマゼラン望遠鏡を制御している人。
自動小銃を肩に38度線・非武装地帯に立つ国境警備兵。
ノースウェスト機の小窓から大西洋を見下ろす乗客。
地表と海上にいる人間、機中の人、だれもがみな、
この惑星とともに年を越す。
野口さんたち「国際宇宙ステーション」に滞在するクルー6人は
高度400qのバンアレン帯のなかで年を越す。

 みなさんにとってこの2009年はどんな一年でしたか?
 ことさら人の幸福を願うわけではないけれど、
 いきいきとした人の顔をみたい。もっともっとみたい。
 自分もいきいきと生きていきたい。
 これは永遠の希望と抱負です。
 ウェブマガジン「この惑星(このほし)」を4月8日にスタートさせてから、
 たくさんの人と出会うことができました。
 こちらが思いっきりジャンプしても届かないくらい、
 みなさん元気いっぱいの人たちでした。
 正直、世界は変わりました。これからも変わっていくでしょう。
 元気は人間のピュアなエネルギーです。
 このエネルギーで「この惑星」は、まわっていきます。
 4月8日から12月31日の今日まで、Today's shotでは、
 フォトグラファー和田剛さんが撮影した写真を掲載してきましたが、
 本日をもって終了となります。
 ツヨシさん、267枚のすばらしい作品、どうもありがとう!
 「言葉の風」は1月1日よりブログでの公開となります。
 これからもひきつづき、よろしくお願いいたします。
 みなさん、よいお年をお迎えください。

see you tomorrow!


2009年12月30日
Today's Shot
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言葉の風

東名高速に架かる陸橋から帰省の途につくクルマを眺める。
順調な流れのようだ。夕暮れのなか、テールランプをきらめかせ
クルマはびゅーびゅーと音をたて眼下を過ぎていく。
わが団地からも次第に人がいなくなりつつある。
電車のなかには、なにかに乗り遅れ、取り残されたように
悄然とした顔の中年男なども座っていたりする。
あと一日で54回目の正月を迎えることになるが、
はじめてふるさとを離れての年越しとなる。
やはり節目にはたくさん思い出がつまっているもの。
おせち作りに精を出す母親の白い割烹着姿と
湯気だった台所などが目に浮かぶ。
もう何十年も昔の場面だ。
風邪で臥せっているとき、煮豆の匂いはつらかった。
そんな記憶も残る。
あんな小さな流し台でしかもガスコンロ一台で
よくあれだけの料理を用意したものだ。
仕事納めの翌日から丸3日、
朝から晩まで台所に立っていたのではないだろうか。
湯水もでなければ、換気扇もない。暖房もない。
つめたいすきま風だけは入ってくる。
そんな渦中、31日になるとかならず洋服の仕立屋が集金にやってきた。
プンプンとして財布から現金を取り出す母。
よりによって大晦日に取立にくる神経に腹を立てるのだった。
自動引き落としもキャッシュディスペンサーもない時代のことだ。
その年、最後の罵声が玄関先に響きわたることもあった。
今年、その母親から、早くもおせち料理が届けられた。
手作りではないが、京都の料亭でこしらえられたものだ。
冷凍庫がいっぱいで保存できず、
一足先に当宅は燗酒をつけておせち料理に舌鼓をうった。
正月の前倒し、しかし仕事は続行中。

see you tomorrow!


2009年12月29日
Today's Shot
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言葉の風

写真撮影に同行して新宿へ行ったときに、
路上生活者のダンボールハウスを訪ねたことがあった。
1997年12月のことだ。
その頃、不況から抜け出す光も見えず、
新宿駅西口界隈だけで路上生活者は300人を越えていた。
その人たちのほとんどは、ダンボールを材料に、
身一つ横になれるほどの小さな小屋をつくっていた。
いつからか知らないが、そのダンボールハウスを
キャンバス代わりにペインティングし、
西口地下道はさながらアートギャラリーの様相となった。
まさにアンダーグランドアートだ。
増加する路上生活者とインパクトあるダンボールハウスの林立。
ついに東京都は撤去の命令を下し、行政と路上生活者は対立する。
支援団体もかけつけ、当時ちょっとした騒動となった。
のぞかせてもらったダンボールハウスは女性の住まいだった。
場所は東口から西口へとむかう地下道近くで、
ダンボール銀座からは遠く離れていた。
それでも20〜30のハウスが身を寄せ合い路上が集落と化していた。
女性は40歳台でこぎれいな身なりで、ハウスのなかもきちんと整理されていた。
借金返済のために昼はビラ配り、夜はビル清掃に出かけているという。
お風呂も銭湯を利用しているといっていた。
突然、斜めむかいのハウスから30歳過ぎぐらいの男が出てきて、
なにかまくし立ててきた。
東京都はくさってる。石原はろくでなしだ・・・ドウタラコウタラ。
お前カネ持ってるか? 目がすわり、酒臭い。
すかさず、さっきの女性が出てきてあいだに入る。
いっしょにいたカメラマンは男に千円札2枚渡した。
だまって受け取ってから、権力がどうのこうのと一席ぶった。
それが男にとってせいいっぱいの返礼のようだった。
女性の口からはいっさい不満も愚痴もでなかった。
淡々としていたが、暗さはなかった。
「わたしこれから掃除の仕事なんで」
そういってスニーカーに履き替え、人混みのなかに消えていった。
あれから12年。東京は、日本はまた振り出しに戻ったようだ。

see you tomorrow!


2009年12月28日
Today's Shot
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言葉の風

年が変わるだけなのに浮き足立っているのが滑稽だ。
なんのことはない来週月曜から、またいつもの日々がはじまるだけだ。
ご挨拶やら後片付けやら年賀状づくりとやることが増え、
うんざりしてくる。
深夜、ソファにもたれ、録画録りした映画を観る。
停電が起こった夜の東京を舞台にさまざまな人間模様が描かれる群像劇。
『大停電の夜に』はそんな作品だった。
なにせ電気が消えてしまうのだから、
映像のなかにほとんど直接照明というものがあらわれない。
ろうそくの灯りが主役のような映画だ。
もうひとつの主役はビル・エヴァンス。
名作『ワルツ・フォー・デビイ』の一曲「マイ・フーリッシュ・ハート」が、
陰影に富む映像にぴったりと嵌る。
流行らないジャズバーのマスター役を演じていた豊川悦司の声がよかった。
低くかすれ、湿り気のある響き、それがセリフを放つたびに、
鳴りのいい楽器のようにヘッドホンをした頭のなかで振動する。
今まで、どちらかといえば苦手な俳優だったが、
いっぺんでファンになってしまった。
ふと、カーテンをしていないバルコニー側をみると、
空が薄い朱色に染められている。
立ち上がってようすを確認にいく。
空いちめん、厚い雲がおおい、なぜか雲が夕方のように色づいている。
一度、同じような奇妙な夜空をみたことがあった気もする。
ふたたび映画をみはじめる。しばらくして、空に視線を移すと、
今度は青くなっている。ガラスに鼻をこすりつけ空を見渡す。
灰色がかった青を吸いとった雲が垂れこめている。
キッチンで水を飲み、再生ボタンを押す。
画面にはろうそくの灯り…しだいに眠気に襲われていく。
この夜、空は何度か赤くなり、青くなった。
寝床に就く前、物音ひとつしない、
いつも以上に静かな夜にやすらいだ。
2009年という年が終わりに向かっている、
そんな実感がやっとわいてきた。

see you tomorrow!


2009年12月27日

Today's Shot
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言葉の風

一昨年だったか、年末の帰省で驚いたことがあった。
福島の郡山駅を過ぎても雪がまったく目に飛びこんでこない。
平地だけでなく、車窓からみえる山々が黒い。
いつままで経っても黒い山並みがつづき、
そのまま仙台に到着してしまった。
30年近く毎年この時期、列車でふるさとへ帰るが、
あんなことははじめてだった。
まだ、地球温暖化の問題が騒がれていない十数年前から、
冬に帰省するたびに雪はこんなに少なかったかと、いぶかっていた。
けれど、大人になってから子ども時代を過ごした場所へ行くと
なにもかもが小さく感じられるのと似た錯覚だといい聞かせていた。
滞在中にたまにドカンと降ることもあった。
そんなときは喜々として雪かきを手伝った。
子どもの頃、朝、目を覚ますと、
なぜかいつもよりも世界がしーんとしている。
カーテンを開けると、息をのむ出来事が待っている。
庭や垣根、物置の上、隣の屋根、そのまた隣の屋根に雪が積もって、
外が真っ白にふくらんでいる。
そんな奇跡のような冬の朝をなんど体験しただろう。
『しろいゆき あかるいゆき』という絵本を手にしたとき、
あの冬の「奇跡」をつかまえたと思ったものだ。
町の人たちが雪の“まえぶれ”を感じる場面から物語がはじまる。
足の親指がきまって痛み出す婦人もいるが、
おそらくだれもが雪を待っているのだ。
そんなことはどこにも描かれてないが。
やがてゆっくりと舞い降りてくる雪。
えんとつのてっぺん、こごえたきのえだ、じどうしゃ、
きょうかいのとんがりやね、に降りつもり、町を一変させる。
なんのことはない冬の情景の一こまなのだが、
これだけ無垢なドラマはない。
この季節、口に出すことはないだろうが、
大人のこころのなかにも「ゆきまだかなあ・・・」という、
つぶやきだけはあるかもしれない。

see you tomorrow!

しろいゆき あかるいゆき


2009年12月26日
Today's Shot
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言葉の風

文字を目で追っても、それでも落語はおもしろい。
本棚から、ちくま文庫の『古典落語志ん生集』を手に取り、
立ったままページをめくりだし、プッ、プッとふきだす。
ときにう〜んと唸らされる。
だいぶまえに5代目古今亭志ん生の落語をCDで何枚か聞き、
古典落語のおもしろさを知った。
昭和30年代の実況録音盤で音質はよくないが、
なんといっても志ん生のあの独特のしわがれ声、
そして絶妙というべきか、次の言葉が出てこないのじゃないかと、
ハラハラさせられる間合いにも引き込まれた。
客席からの穏やかな笑い声も混じり、それはそれでしみじみとする。
落語は、言葉だけで成り立つ世界だ。
音楽も書き割りも舞台演出もない。共演者もいない。
たったひとりで高座に上がって、噺で笑いをとる。
では、落語を本で楽しめるかというと、
これはこれで充分に楽しめる。
作品自体がやはり優れているわけだ。
噺ひとつ10分かそこらで読めるボリューム。
そんな短いなかに江戸の庶民生活や長屋の人間関係、職人たちの仕事、
郭の遊び、粋という町人の価値観などが素描され、
笑いを誘う仕掛けが織り込まれる。
オチという終わり方も気持ちよい。
ひとつの噺でいろいろな笑いが引き出される。
滑稽さやアホらしさでは、笑いのスイッチがちがう。
ほっとして笑うことがあれば、驚かされて笑うこともある。
オチで起こる笑いは、お見事という喝采の笑いだ。
このすぐれた作品を芸に磨きをかけた噺家が高座で打つわけだから、
おもしろくないわけがない。
もちろん、志ん生を味わったことがある者が『志ん生集』を読むということは、
あの語りを目でなぞっていることになる。
古典落語のなかには、
おかしくて、いとおしい人間がいつまでも生きている。
語られる者も語る者もいっしょに生きている。

see you tomorrow!

古典落語 志ん生集 (ちくま文庫)


2009年12月25日
Today's Shot
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言葉の風

今朝、家の裏の小山を歩いていると
ガサリ、ガサリと茂みから枯葉を踏む足音が聞こえてきた。
ガサリ、ガサリ、ちょっと止まって、またガサリ、ガサリ。
いったいどんな生きものが歩いているのか、ひとつ見てやろうと
斜面を登って竹林のなかに入った。
一歩踏みこめば、そこは別世界。
あたりいちめん枯葉がつもり、竹が密集した空間は光を棒のように立て、
昼でも夜でもないふしぎな情景をつくっている。
ガサリ、ガサリ、そのなかから姿なき足音が聞こえてくる。
急ぐわけでも、逃げるわけでもない。
そのどこからともなくやってくる乾いた音が心地よい。
色あせた竹のなかをくぐりながら耳だけをたよりに足音を追いかける。
いったいどこにいるのか検討もつかない。
くるぶしを蔽うほどの落ち葉。
林のなかをぐるりと見渡すが、生きものらしき影はない。
そして、ガサリ、ガサリと歩みはつづく。
音を追ってさらに林の奥へと入っていく。
やがて現れたのは竹や落木、ビニールシートでこしらえた砦。
姿なき足音についていったら、
どうやら子どもたちの秘密基地にたどりついたらしい。
主なき砦はしーんとしている。
ガサリ、ガサリ、ふたたび足音は枯葉のなかを進み出したが、
今日はこれまで。
これから師走の東京へ仕事にでかけなければならない。

see you tomorrow!


2009年12月24日
Today's Shot
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言葉の風

まどのむこうのクリスマス

まどがいっぱいある ふるい いえの
まどのひとつに ちいさなクリスマスツリーが
かざられていました。

それをみつけた あっちゃんは
きらきら きらきら っといって
おおよろこびです。

まどがいっぱいある ふるい いえのまえに
あたらしい きれいな おうちがあります。 
あるひのこと
あたらしい きれいな おうちに
おおきな おおきな クリスマスツリーが
かざられました。
ひろいまどに きんきんとかがやく
クリスマスツリーです。

みちゆくひとは みんな
うっとりしながら
とおりすぎていきます。

けれど
ふるい いえの まどのひとつにともった
ちいさなクリスマスツリーは
みんなに わすれられてしまいました。

あっちゃんだけは
ちいさなクリスマスツリーに
きらきら きらきら っといって
えがおを おくりました。

まどがいっぱいある ふるい いえは
アパートという たてものです。 
たくさんのひとが そこにくらしていました。
ちいさなクリスマスツリーを おいたのは
アパートの まんなかにすんでいる 
ひとりぐらしの おばあさんでした。
だれも じぶんのクリスマスツリーをみなくなり
おばあさんは とてもさみしそうでした。

それをしった うえのへやにくらす
おじいさんが
おばあさんを はげまそうと
まどに ほうせきいろの まめでんきゅうで つくった
クリスマスリースを かざりました。

それをしった みぎななめ したにすむ 
おねえさんは
まどに あかいキャンドルと
みどりのキャンドルをおいて 
ひを ともすことにしました。

それをしった おねえさんの したにすむ 
おにいさんは
きんいろのかみで りっぱな つのをした となかいを
かざりつけることにしました。

それをしった おにいさんの となりにすむ 
おじさんも まけるものかと
ぎんがみで まいあがる となかいを かざりつけました。

すると
まいあがる となかいの しっぽのさきにすむ
ガラスしょくにんが  まってましたとばかりに
いろガラスで そりにのるサンタクロースを つくり
まどごとぜんぶ とりかえてしまいました。

「さあ、いっしょに サンタさんをひっぱろうぜ」
そういって きんのとなかい と ぎんのとなかいは
つなを むすびあわせました。

ほかのへやにすむ ひとたちも
まどやかべに おもいおもいの 
かざりつけをはじめました。

よぞらのしたで ふるいアパートは 
ひかりをつめこんだ はこのように
きらきら きらきらと かがやきはじめました。

きょうは クリスマスイブです。
あっちゃんは おともだちの
しんちゃんや まあさ りょうちゃんと いっしょに
アパートのまえにいます。
あたらしい きれいな おうちのこも いっしょです。
まども みんなのかおも
きらきらに ひかっています。
そらから ゆきが ゆっくりと まいおりて ささやきました。
  いつも みんな なかよしでいられますように。
メリークリスマス! 

(2年前に書いた絵本のシナリオです)

see you tomorrow!


2009年12月23日
Today's Shot
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言葉の風

アコースティックギターの弦を買った。
コードをおさえ、声を上げて歌をうたえば、
こんがらがった頭のなかをきっとカラッポにしてくれるだろう。
無意識がそうさせたのか、
5年間、押入のなかで眠っていたアコギをケースから取り出す。
ひさしぶりにみるその姿は、
すっかり老けこんだ友人と対面したような気持ちにさせる。
日の当たらない場所にあったにも関わらず、
ボディは焼け、皺さえこしらえている。
ピックガードは浮き、弦を巻き上げるペグは錆をふきつつある。
ボディの穴のなかには時代物のほこりが身を寄せ合っている。
高校1年の冬休み、材木屋で2週間のアルバイトをして買った思い出の品でもある。
ちょうど今頃の時期だったが、
雪がちらつくなかを重い木材を積み上げる作業はかなりきつかった。
危険このうえなく、よくもあんな仕事を未成年者にやらせたものだ。
そして、よく怒鳴られた。16歳、いまから37年前のことだ。
ギターは、アルバイト代をすべてつぎこんで26,000円で買った。
Jumboというブランドのギターだ。とっくにそのメーカーは消えてない。
買った当時のまっしろいボディのイメージは鮮明だ。
木と塗装の匂いも冬のつめたい空気とともによみがえる。
高校3年の夏には、いっしょに家出もした。
駅前や街頭でやじられながらも歌いつづけた。
27歳のとき、シンガーソングライターになろうと思い立ち、
会社をやめて実家から荻窪のアパートにJumboを持ってくる。
消音装置をつけながら歌作りをしたが・・・半年で夢はしぼむ。
以来、吉祥寺、三鷹、千駄木、根津、横浜と、ともに移動している。
ほとんどかき鳴らされることはないが、捨てようと思ったことは一度もない。
ときに歌をうたいたいという気持ちがつのる。
ギターがある。それだけで心強い。

see you tomorrow!


2009年12月22日
Today's Shot
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言葉の風

一年でいちばん日が短い日、今日は冬至だ。
日照時間でいえば、一年のどん底。
そして、明日から一日一日と日がのびていく。
夏至の日までのびつづけていく。
だから今日はめでたい日でもある。
昨日、2ヵ月ぶりに髪を切りにいった。
「アレッ、こんなとこにキズありましたっけ?」
右のこめかみの上あたりに目を近づけた美容師さんが訊く。
「・・・」
「円形脱毛症かもしれないですねえ」
「ホォー」
感嘆するしかなかった。
天然の白髪が密集するこの頭部にハゲをこしらえるとは、
脳溢血や心筋梗塞で倒れるよりもあり得ないはなしだった。
人一倍、時間を無駄にしてきた付けがまわって、
たしかにこの一年、“半”不眠不休の日々をすごしてきた。
でも、原因はストレスではない。
やりたいこと、やらねばならないことが山積していて、
毎日が興奮の渦中にあるといっていい。
なにひとつとして思い通りに進むことはないが、
そんなことは当然であり、阻害するものがなければ成長もない。
なんといっても自分の意思で進んでいける方向があること。
これは幸福以外のなにものでもない。
だから、毛が抜けたのはストレスではないと、信じている。
「この、ちょいハゲは、勲章だよ」
そんな冗談が口をついてでる。
ウェブマガジン「この惑星(このほし)」がんばってます!

see you tomorrow!


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