2010年8月11日掲載

スペシャルインタビュー Vol.4 己を超え、世界を包括的にデザインする 現代アーティスト 鴻池 朋子さん(第1回)

「これまでどんな仕事をされてこられたんですか?」
「どんな経緯で、こちらのウェブマガジンをはじめることになったんですか?」
初対面の挨拶を済ませると、いきなりこちらのほうが質問を浴びるかたちで鴻池朋子(こうのいけ・ともこ)さんの取材ははじまった。アーティスト、それも現代美術家というと、なにか別世界に住んでいる人というイメージがある。計りようもないその距離をどう縮めていこうか、気難しくはないだろうか・・・。いつも以上に緊張するインタビューだった。数日かけて質問を考え、練った。昨年、『ネオテニー・ジャパン―高橋コレクション』(上野の森美術館)、個展『インタートラベラー 死者と遊ぶ人』(東京オペラシティアートギャラリー)を観て以来、彼女の作品に強く惹かれている。ファン―それだけが鴻池ワールドに近づくための唯一の武器だった。質問文が3000字以上となった。びっしりと文字が並んだ質問紙を手に取り、めくるめく「現代アート」の宇宙へ、いざ乗りだそうとしたその時に、先の質問が飛んできて、こちらがしどろもどろに受け答えしているうちに、淀みない言葉が彼女から奔流しはじめた。質問紙を早々に放り投げたのは正解だった。話のレベルが大きく違っていた。「作品」を語り合う、という牧歌的な次元ではなく、アートそのものを否定さえする、まさに最先鋭の展開となった。自分の質問が古色蒼然とした内容で気が滅入りそうになったが、逆に、鴻池朋子というアーティストの概念や思想性が鮮やかになったと思われる。現代を果敢に否定するのが現代アートのスタンスだとするならば、そのアートさえも否定する世界とは一体どのような構造をしているのか、いかなるシステムにより駆動するものなのか、とくと耳を傾けていただきたい。

(構成・インタビュー/大島憲治 撮影/小島マサヒロ

シラ ― 谷の者 野の者(狼)

シラ ― 谷の者 野の者(狼) | 2009 | 墨、胡粉、金箔、雲肌麻紙(襖) | 182×1632cm | 撮影:宮島径
(掲載作品すべて)© KONOIKE Tomoko, Courtesy Mizuma Art Gallery

話すために、語るために作品をつくってきた

鴻池朋子さんスペシャルインタビュー「ここ2年大きな展覧会が続いたりして、ものすごく言葉が出るようになったんです。そのことが自分でもびっくりなんです。昨年の霧島の個展(※)の時に、もう嫌になるくらい人に会ったりし、取材も選ばず全部受けてきたんですよね。自分がどうなってしまうのか面白くて。
また、自分がやっていることが入場料を取って芸を公開する“興行”というカテゴリーと何が違うんだろうと・・・。興行とスタイルはまったく同じことをやっていながら、なぜ美術館でやるからアートと呼ばれるのか、やってる本人がまったくわからなくて。ならばとことん興行と同じことをしていきたいと思ったんです。展覧会以外のPR活動や広告とか、できるだけメディアに出ていこう、積極的に仕掛けていこうと。
そういう中に自分を投入していくことによって、『いや、私はやっぱりアートだ』と思えれば良かったんですけれど、でも、まったく違いがわからなくて。そんな葛藤や疑問を持つうちに言葉がだんだんと話せるようになってきたんです。これがやっぱり一番大きい。」

※「インタートラベラー 12匹の詩人」2009年10月16日〜12月6日<鹿児島県霧島アートの森>で開催

こぶしの木のエントランス

こぶしの木のエントランス
(鹿児島県霧島アートの森)
撮影:松永猛
写真提供:産経新聞社

――鴻池さんの文章は、個展のカタログで「死者と遊ぶ人」や「オオカミの道を捜して」などを読ませていただいていますが、文章がとても美しい。文筆のプロと言ってもいいほどの表現力とロジカルな文体をもっていますよね。

「いや、そんなことはありません。ただ、本当にこの1年くらいで文章が書けるようになった。書けるようになったっていうのは、自分の素直なものが表現としてきちんと言語化、文字化できるようになった。これは、作品を創っている間に次第にできるようになったんです。もしかしたら私は、作品をつくりたくてつくっているのではなくて、話すために、語るために作品をつくってきたのではないかと、ふと思ったんです。話すということは、ヒトが生まれてきてから人間となっていくときに、かならずそこを通らなければならないものですよね。重要なツールというか、ヒトが人となる部分ですよね。でも、それがうまくいかない人もたくさんいて、自分もおそらくそんなにうまくはなかったはずです。話せなくても、とりあえず元気でのびのびと絵を描いて生きていけると(笑)。呼吸して、ものを喰って。そういうパワーの方が何よりも重要だった。言葉がどうしても必要なものではなかったから。ここにきて、作品がいろいろと世に出ていく中で、もう一度自分で一人の観客として見るわけじゃないですか、できあがったものを。それをちゃんと客観的に言葉で語れるようになってきたんですね・・・これは本当に驚いています。」

アカデミズムで芸術を教えるという矛盾

《インタートラベラー》展示風景

《インタートラベラー》栗野岳温泉八幡大地獄 展示風景

――大変失礼ですが、鴻池さんはどちらかというと遅咲きですよね。アーティストとしてデビューされてまだ十数年、それまで玩具メーカーのデザイナーをされてきたということですね。アーティスト、それも現代美術家と玩具のデザイナーでは、同じクリエイティブな領域とは言え、かなり隔たりがあると思うのですが。

「私は玩具をつくっているときも、いわゆる作品と呼ばれるものをつくっているときも、そんなに変わらないです。ただ、最終的な世に出る出口が違うだけだと。ものをつくって売っていくことに何の違いもないと思っています。」

――東京芸術大学日本画科の出身で、当然、芸大を目指したということは、アーティストになるという志向が非常に強かったわけですよね。

「まったくなかったです。結局、最終学歴がプロフィールでは取りあげられますよね。芸大の日本画卒でアーティストを名乗っていると、ある意味、エリートな感じで、アカデミズムの王道を歩いてきた感じがしますけど、アカデミズムで芸術を教えるということ自体矛盾なわけですよね。教育という形で、対外的な処置として日本の芸術を様式化し文化にしていこうと学校をつくったのはわかりますけども、芸術とはそこには絶対に入りきらないエネルギーまでが入っていくわけですよ。やはり、大学は温室にいる感じが否めない。私が芸大在学中の1980年代前半というと、モノが街にあふれだしていくそんな時代だったじゃないですか」

――バブル前夜、そして消費文化が本格的に始まった時期ですね。

鴻池朋子さんスペシャルインタビュー「それまで何でもなかった日常のモノに雑貨という価値がつけられ、ファンシーという名付けがされ、役に立たなくとも、置いておいてカワイイ、何だかいいっていう細々としたものが、日の当たる場所にどんどん出てきた。でも、大学の中は時間が止まっているわけです。『鯉』とか『菊』とかを描いていることが正直、つまらなかった。やはり、どうしたって外のことのほうが面白すぎる。ましてや、若いですから、今起きていることのほうが、アカデミズムの世界よりも興味をかき立てるわけです。今生きている時代のほうがどうしても影響が多く、そちらのほうに目がきらきら向いていくのは仕方ないじゃないですか。“芸術を学ぶ"という名目の学校には入ったけれど、そこで何も得るものがなかったんですが、逆にそのことで反発というエネルギーが生みだされたわけですから、そのことには感謝したいですね」

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