現実の社会に出ることがどんなにか面白いことか

――玩具会社を選んだ動機というのは・・・。

鴻池朋子さんスペシャルインタビュー「大学4年で卒業し、すぐ玩具会社に就職したのですが、玩具というのも、遊びながらやっていけるんじゃないかという安易な考えと、本物じゃなくて、それこそ“ごっこ遊び"でいいような思いとかがあったんですね。すべてが大人の世界のシミュレーション的な、ダウンサイジング的なものというか・・・。ごまかすとか、逃げるということも含んだ上での子供っぽさという部分に、きっと自分に一番近いところを感じて、そういう仕事に入ったのだと思います。そこに入ったおかげで、モノづくりの楽しさ、厳しさというものを先輩たちから教わりました。」

――それまでの日本画という岩絵の具を使って丹念な描写力を発揮する世界から、玩具のデザインの世界へ入っていき、そっちの方が面白いっていうのが、ちょっと理解しがたい感じがするのですが。

「大学のつまらなさに比べたら、現実の社会に出ることがどんなにか面白いことか(笑)。大学を卒業するときって、もがき苦しむじゃないですか。でも、やっぱり自分で歩きださなければ、本当の怖さもわからないし、面白さもわからないわけです。確かに何かにしがみついていたい気持ち、囲われた中にいることの安堵感というのはあるんです。でも、芸大というのは、私にとってあまりいい環境ではなかった。放り出され、生身をさらされるという状況によって、内なるエネルギーを出していくことが必須だった。」

絵を描くことが第一ではありません

頭蓋骨の屏風

「鴻池朋子展 インタートラベラー 12匹の詩人」
鹿児島県霧島アートの森での展示風景
《シラ―谷の者 野の者》2009
撮影:松永猛 / 写真提供:産経新聞社

――エネルギーという言葉が出ましたが、鴻池作品というものは、どういうなかで生まれてくるのですか。

「自分に何かがあるわけじゃなくて、人との関連性という状況に置かれたことによって、自分に眠っていたものがすっと出る人だったんですね。自ら何かをするのではなくて、自分に眠っていたものに気づいていく。その場、その場を、その日、その日を気づきながら生きている。はっきり言えば、絵を描くことが第一ではありません。大きな生活のほんの一部で作品はつくられているんです。時間配分的にもそうです。作品は、人間の生活の中の一部から生まれ、そしてそれが、何だかわからないけれど、役に立たないけれど、生きてゆく上でなくてはならないものとしてある。そういったものの一つだと思っています。」

肩書きはアーティスト、やっている内容はデザイン

――アーティストになる前、会社勤め、そしてデザイナー時代が10年以上あったわけですね。そこで何を得ることができたのでしょう。

鴻池朋子さんスペシャルインタビュー「雑貨や家具、とにかくモノというモノは何でもデザインし、つくり出していく現場に置かれたんですね。そういう仕事をやっていたので、モノづくりの一番のベースというんでしょうか、それこそ生産型がつくられ商品が大量生産され、流通に乗って、お店に置かれ、最終的に誰かに買われていく、そうしたマーケティングの全体を見てきたわけです。かなりシビアな世界です。自分の表現への執着というよりは、他者の厳しい意見にブラッシュアップされて製品は世に出ていくわけです。でも、それでも自分の方向を出したいわけじゃないですか。そこに落とし込んでいく強さっていうのを、やはりデザインで学んでいるんですね。

私は今、肩書きはとりあえずアーティストであり、そのほうが人にはわかりやすいかもしれないけども、やっている内容はデザインだと思います。デザインというのは、グラフィックデザインとかジャンル分けされたデザインのことを指すのではなく、ホリスティック(包括的)なものの見方で、システムを構築したり、構造を置き換えたりしていくようなデザイン概念です。そのことによって起こるエネルギーにすごく興味がありますね。だから、ツールは何でもいいと。玩具であっても、お金であっても、絵であっても、人であっても何でもよくて。その置き換えとか組み替え、もしくは構造自体を変えることによって、その時代をしっかり見極め、生き抜くためにこういうことをやっているという気がします。

デザインというのは社会で多くの人が生きていく上で、快適であるとか、きれいであるとか、住みやすいとか、そうした方向に向かってやってきたけれども、それでは個々人では立ち行かなくなるんですね。汚いとか、弱いとか、ダメだとか、そういうものは置き去りにされてどこかに溜まり、残っているわけです。アートは人がどうやってこの時代を生き延びていくのか、そういうところに作用すると思います。」

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