2010年7月13日掲載

スペシャルインタビュー Vol.3 「市井の人々」の物語を紡ぎだす ルポルタージュ・コラムの名手 上原 隆さん 第2回

前回、「市井の人々」にスポットを当てるきっかけについて語ってくれた上原隆さん。数々の挫折体験から、「自尊心が粉々になりそうなとき、人はどのように自分を支えるのか」というテーマを探し当てた話が印象的だった。では、そこから、いかにあのルポルタージュ・コラムが生まれるのか。今回は、その作り方についてうかがってみた。
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(構成・インタビュー/清田隆之 撮影/佐藤 類

『考えるより動け』と自分に言い聞かせ

――上原さんの作品には、中学生や老夫婦、実演販売員から女性探偵まで、年齢も職業もバラエティに富んだ人々が登場しますが、取材相手はどうやって探すのでしょうか?

上原隆さん インタビュー「一番多いのは、読者からの手紙やメールです。『お話を聞かせてください』と、私の本にメールアドレスを載せているので、月に一通くらいですが、届きます。知り合いに『誰かいない』と聞いてみたり、取材相手から人を紹介していただくこともあります。あとは、たまたま見かけた人に声をかけることも多い。この前も、六本木の牛丼チェーン店で60歳くらいの店員さんを見かけ、いいなあと思って何度も食べに通ったんです。自分なりに下見を済ませ、いざ取材を申し込もうと依頼の手紙まで書いて出向いたら、何とお店がつぶれてた(笑)。あれにはがっかりしました」

『雨にぬれても』に収録されている「中学生」という話には、上原さんが生まれ育った横浜の伊勢佐木町商店街を歩く2人組の野球部員が登場する。彼らはモノマネをしてじゃれ合い、コンビニでマンガを立ち読みし、すれ違う不良ににらまれてキュッと身を固くする。大人の男性なら誰もがセンチメンタルな気分になるであろう、"典型的な中学男子"だ。

「彼らに出会うまで、実はいろんな中学生に声をかけていたんです。あまりおもしろくない子もいたし、こちらを怪しんで逃げ出す子もいた(笑)。街で声をかける場合は、それなりに数をこなさないといい話にはめぐり会えません。やはり、ネットカフェやハローワークといった場所には困難な人が多くて、話を聞くと、心打たれる人が少なくありません。いずれにせよ、人に声をかけるのは緊張するし、私にとっては心的負担の大きい行為ですが、『考えるより動け』と自分に言い聞かせてアタックしています」

ドキュメンタリーにつきものの悩ましい問題

――相手は取材に慣れていない一般の人々なわけですが、うまく話を引き出す方法とは?

上原隆さん インタビュー

「まずは聞き手としての意図を正直に伝えます。テーマである『困難なとき、どう自分を支えていますか』という問いをぶつけるわけです。経験上、こちらが素直に向き合えば、相手もちゃんと心を開いてくれることが多い。とはいえ、テーマの性質上、悩み相談のような形になってしまうこともあります。相手のかかえている問題にどこまで関わるかはドキュメンタリーにつきものの悩ましい問題ですが、万が一頼られそうになった場合は、自分がカウンセラーでないことをはっきり伝え、一定の距離を保つようにしています。そして、これは一番のポイントかもしれませんが、気になったことは、たとえ聞きづらくても思い切って質問してみることにしています」

〈さっきから、私は、障害をもった子が亡くなった時、親はどんな気持ちになるのだろうと想像していた。「ほっとしましたか?」私がきく。「子どもが死んでほっとしたかということですか?」打海は私の質問の意味をきき直した〉(『喜びは悲しみのあとに』収録「小さな喜びを糧に」より引用)

このような質問は、なかなか口にできるものではない。モラルを疑われ、相手を怒らせてしまう可能性もあるからだ。問いを投げかけた上原さん自身も、直後に〈なんてことをきいたんだろう〉と後悔しているくらいである。しかし、こういったド直球の質問が上原作品の魅力になっていることは確かだ。事実、これが功を奏し、相手からリアルな本音を引き出すことに成功している。

〈「それはね、半分はあるんですよ」打海は小さく笑う。「生きている時からある程度予想はついていましたけどね。この子がある時逝けば、自分の中にポッと空洞ができるだろうっていうのと、やっと解放されたなって気分になるだろうっていうのが半々だろうって」〉(同上「小さな喜びを糧に」より引用)

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