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2010年4月22日掲載

特集 銀河と地球のはざまを生きて― 世紀を越える旅人 ななおさかき

カウンターカルチャーは生きている 仲間たちのななお(後編)。ななおさかき終焉の地となった長野県下伊那郡大鹿(おおしか)村。南アルプスの麓にある大鹿村には、元「部族」とその家族たちが暮らす。ななおの知られざる一面を皆さんに語ってもらった。

【取材させていただいた方々】
P1.「私たちの船に、なぜか、ななおも乗っていて、『よお!』なんてね」 ミロ
P2.「いろいろと分骨して最後に残ったななおの骨をね、砕いて粉にして・・・」 内田ボブ
P3.「なかなか神様に出会えないって。そしたら、ななおから返事がきたんですよ。」 ジュゴン(4月27日掲載)
P4.「見た目はおじいさんだったけど、からだも身のこなしも若者みたいで」 沙姫(サーキ)(4月27日公開)
P5.「ななおが現れたときに、うちの婆さんがびっくりして腰抜かしてね(笑)」 アキ(4月27日公開)

(取材/文 大島憲治)

マスコミ嫌い、住所不定の旅人

ミロさんという女性に出会わなければ、今回の特集は生まれなかっただろう。世紀を越える旅人、ななおさかきへと向かう旅は、ミロさんが出発点となった。
ななおを取り上げたいとは思っていたが、どうアプローチしたらいいのかまったく見当がつかなかった。本人はすでに亡くなっている。
詩人であること、本名は榊七夫(さかき・ななお)。死因は急性心不全、享年85歳。2008年12月25日付の朝日新聞は、23日に長野県大鹿(おおしか)村で逝去したななおを短く7行で伝えている。マスメディアから発信された、ななおさかき本人についての情報は、唯一この死亡記事だけではないだろうか。あとでわかったことだが、この稀有な存在をマスコミが無視していたのではなかったようだ。ななお自身がマスコミを極度に嫌い、遠ざけていたのだった。ゆえに情報は極めて少なく、家も持たない住所不定の旅人であったから、調べようも、探りようもない状況にあった。

山尾三省の本『聖老人』(野草社)を読むと、ななおは1960年代後半に誕生した「部族」というコミューンのグループと行動をともにしていたことがわかった。もう、かれこれ半世紀以上も前のことだ。驚いたことに、日本のヒッピームーブメントの先駆的な存在だった「部族」のメンバーの一部は、コミューンという形は放棄したものの、いまも都市生活や管理社会に背を向け、東シナ海に浮かぶトカラ列島や南アルプスの奥深い山麓に暮らしているというのだ。前述した通り、ななおさかきはその南アルプスの麓、古くからの仲間の暮らす長野県下伊那郡大鹿村で亡くなっている。「部族」を立ち上げ、その中心的な役割を担った山尾三省は2001年晩夏、定住先の屋久島で亡くなっている。そこまでは、ネットの情報も加えてわかったことだった。しかし、「部族」の元メンバーの連絡先もわからなければ、そのつてもまったくない。お手上げ状態で、数ヵ月が過ぎた。

“カブトガニ”探しからはじまった

西江雅之『異郷日記』ななお特集を組むという思いが消えかかっていたとき、たまたま図書館から借りて読んでいた本にたぐり寄せる糸が忍び込んでいた。文化人類学者の西江雅之『異郷日記』のなかに、東京・西荻窪で「兜蟹(かぶとがに)」というバーを経営している女性が、かつて諏訪之瀬島(トカラ列島)でコミューン生活をしていたと書いてあったのだ。西江さんはそのバーへときどき立ち寄るということだった。1960年代末から70年代前半にかけて、ななおやゲーリー・スナイダー、詩人のナーガたちと活火山の地響きが轟く離島で共同生活をしていた女性、それがミロさんだった。東京にいて、しかも酒場をひらいている。これは朗報だった。西江さんの本は2008年春に刊行されたもので、情報はそれほど古くなかったが、“カブトガニ”探しには結構手間取った。ネット検索で1件だけヒットしたブログ記事を手がかりに、やっと店の電話番号を突き止めるが、それだけでも数週間を要した。そうして、ななおさかきを知る人とはじめて会うことが叶った。瞬時のうちにたいがいの情報が手に入る社会のなかで、つい最近まで生きていた、たったひとりの人間をテーマとした取材がこうも思うように進まない。ここまでのプロセスで、ななおという存在が自分のなかで神秘的な色合いを強めたことは確かだった。

カブトガニ

西江雅之氏が中国・福建省からお土産に持ってきたカブトガニ。

重い木の扉をひらくと、カウンターのなかから小柄な女性が振り返った。電話であらかじ今回の用件を話していたので、声は聞いていた。サイケデリックな服を着ているわけでも、貝殻やビーズでできた首飾りを下げているわけでもなかった。ミロさんは、ごくごくフツウの女性だった。電話口で聞いた気さくな声と姿が一致する。夜8時を過ぎていたが、店は開けたてで、まだ客はいない。5、6人座れるカウンターと長方形のテーブルが1卓。ひとりで切り盛りするにはちょうどいいスペースだ。カウンターのなかの壁に大きな兜蟹がディスプレイされている。西江雅之さんが中国・福建省から持ってきたお土産だという。それで「兜蟹」という店の名が決まったのか、店の名前に洒落て西江さんが買ってきてくれたのか、訊ねるのを忘れてしまった。

背筋をまっすぐに伸ばしたひと

兜蟹

西荻窪のバー「兜蟹」

ミロさんがここ西荻窪に自分の店を構えて25年ほど経つ。その前は三鷹の「千曲(ちくま)」という居酒屋にいた。三鷹に暮らす西江さんとは、その頃からのおつき合いらしい。一見、フツウのおばさん(失礼!)なのだが、なかなかフツウではない人生を歩んできた方だ。1948年生まれ。広島県出身。10代後半に家出をして、まず向かったのが当時、京都に滞在していたゲーリー・スナイダーのところ。ゲーリーはその頃、京都の大徳寺で禅修行をしていたが、寺を出て北区大宮玄琢(げんたく)に住んでいた。そこに1週間ほど居候する。そこから今度は、長野県富士見高原のコミューン「雷赤鴉族(かみなりあかがらすぞく)」へ行き、さらに東京・国分寺のコミューン「エメラルド色のそよ風族」へと移る。ミロさんがななおとはじめて会ったのは、この国分寺のコミューンだった。

「すごい人がいるなあ、って思いましたよ。ヒゲ面は見慣れていたけど、そうねえ、やっぱり迫力があったわね。もうそのとき、ななおは40歳ぐらいでしょ、こう背筋をまっすぐに伸ばしていてね、声がよく通るんですよ」
ななおの第一印象をミロさんはそう語った。

その頃、「部族」というグループは、東京・国分寺と長野・富士見高原、トカラ列島・諏訪之瀬島の3ヵ所にコミューンの拠点をつくっていた。やがて、ミロさんは諏訪之瀬島のコミューンへと向かい、そこでななおたちとの共同生活をはじめることになる。

「きびしい人でした。よく注意されましたよ」
高校を出たばかりのミロさんたちは、若いグループのノリで、よく“私たちは”という主語で話を切り出すことがあったそうだ。そのとき、すかさず、「ミロさん、その“私たち”というのはやめてくれませんか」とななおの言葉が飛んできたという。「“私たち”という言葉をはずして話すようにしなさい。」そう諭されたことがあったそうだ。

また、諏訪之瀬島のコミューン「バンナム・アシュラム」では、朝に瞑想を行っていたが、たまに寝坊して出なかったりすると、「バアさん、まだ寝てますか」と突っこまれる。けれど、決して怖い人ではなく、ただそのストレートな物言いに十代の女の子らしく驚いたということだ。

山歩きでみせた負けん気

ななおとミロさん

真冬の大雪山系をトレッキングするななお。後ろがミロさん。(1980年頃)

その後、「部族」はコミューンというかたち、つまり共同生活を維持できなくなり、絆を弛めていく。ななおは変わらず、どこにも定住することなく、放浪をつづける。ミロさんは、サタンさんという相棒とともに鹿児島の口永良部島や北海道などを転々としながら暮らしたという。いま二人は、東京・国立に落ち着いている。

「ななおが亡くなってから、よくサタンとも話すんですけどね、どこで聞いてくるのか、私たちが行くところにかならず、ななおは顔を出すんですよ。私たちが乗っている船に、なぜか、ななおも乗っていて、『よお!』なんてね、ほんとに不思議ですよ」

真冬の北海道を堪能しようと旅立つ間際にも、ななおが現れたそうだ。
「どこへ行くんですか? おお、北海道か、ぼくも行きましょう!」
そうして、北海道では厳寒期から雪解けの春を迎えるまでの数ヵ月、ときにキャンプをしながら大雪山系を歩き回ったという。

ある山頂をめざしたときのことだ。
「ミロさんだけには、ぼくは負けたくない!」と、ななおは気を吐いたらしい。その時、ミロさんは40歳前後、ななおはすでに60歳を過ぎていたが、こと山歩きには負けん気をみせたという。

「わたしも男だったら、ななおのように生きてみたかった」

ななおとゲーリー・スナイダー

店の壁に飾られたななおとゲーリー・スナイダーの写真。

「山尾三省は、本をいろいろ出したけど、肉声って残してないんです。まあ、冗談をいうように『ななおもいつお迎えがくるかわからないから、声をちゃんと録ろうよ』ということになったんです」

ミロさんのご主人、サタンさんが中心になり、ななおの詩の朗読が録音されたという。いちばんの目的は、ななおの子どもたちに生の声を残すということだった。ななおには日本女性との間に2人の息子、また、アメリカ人の女性2人との間にそれぞれ1人ずつ娘と男の子がいる。録音された日本語版のCDは息子たちへと渡されたが、アメリカの娘にも英語版を録音しようということになった。「ならば、ハワイで録りましょう!」ななおからの鶴の一声で、英語版はハワイでの録音となったそうだ。この録音が行われたのは、ななおが78歳の時というので2001年のことらしい。これらはあくまでもプライベートな目的でつくられたものだ。残念ながら、現時点では聞くことはできない。

ミロさんに、ななおの詩でいちばん好きな作品はどれか聞いた。
「うーん、やっぱり最初に生の声で聞いた、ななおが訳したミラレパかな、チベット僧が書いた詩ね。“若い私は心乱れ、愚かな森に、踏み行った、ひもじい精神、お情けの乾いた飯にかじりつき、たまには小石も喰った、懺悔(さんげ)のつもり・・・”だったかな? 若いときに聞いたからか、これがいちばん心に残っているね」

ミロさんは、20歳前から40年近くにわたって、つかず離れずななおと交流を保ってきた。親子ほどの年齢差があり、ななおは父親のような存在だったという。

「よく机の前に座って本を読んでいましたねえ。あとはどこか歩き回っている。『ミロはまだ寝てるんですか、ぼくはもう御岳(みたけ)※に登ってきましたよ!』なあんてね・・・」
そういって、なつかしそうにミロさんは笑う。

「わたしも男だったら、ななおのように生きてみたかったわね。あんなふうに、家も家庭も持たず、グループも取り巻きもつくらない。生涯、旅をつづけてねえ・・・ななおしかいない。見事でしたよ」

※ 御岳 諏訪之瀬島の活火山。標高799m。2000年より火口付近から半径2km以内は、立ち入り禁止となっている。

洋書をむさぼる乞食

兜蟹最後にもうひとつ、ミロさんから聞いたエピソードを紹介しておこう。
ななおは、詩人、草野心平のところに居候していたことがあったそうだ。当然、ななおはまた旅へ出る。その時、心平の蔵書のなかから洋書を1冊無断で拝借していったらしい。ところが、旅の途中、名古屋で警官から職務質問を受け、この洋書が問題となった。
「お前のような乞食が洋書など持っているわけがない、これは盗んだものだろっ」
ななおは、そのまま署に連行されたそうだ。
警察が草野心平へ連絡を取り、確認したところ、心平曰く、本はその男にやったものだ。それで、事なく一件落着した。

長髪にヒゲ、短パンにリュックサック、財布はいつもカラッポに等しい男。実際、世間からは乞食とみられてもしかたないだろう。心平の粋な計らい、それはそれで結構なことだ。このエピソードは、大詩人、草野心平の鷹揚(おうよう)さを伝える話として、ななお自身がミロさんに話して聞かせたのだろう。が、それよりも、一銭も持たず、洋書を抱え、それをむさぼり読みながら旅をつづける、無名の詩人であり、自らをフーテンと呼ぶこの男にこそ、大詩人の鷹揚さをはるかに超えるものがある。この意志やバイタリティは一体どこからやってきていたのだろう。これはだれにもわからない、ななお自身に訊いてもそれはわからないことなのだろう。

「兜蟹(かぶとがに)」
〒167-0054 東京都杉並区松庵3-38-15 ユニオンビル101
03-3331-9445 営業時間20:00〜(日曜定休)


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