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2010年4月15日掲載

特集 銀河と地球のはざまを生きて― 世紀を越える旅人 ななおさかき

vol.4 カウンターカルチャーは生きている。部族、ヒッピー、フリーク  仲間たちのななお。 「足がある」ナーガ 詩の続きはこちら

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体制に背を向けた若者の一群

部族 1960年代後半、日本は高度経済成長の真っ只中にあった。人々は、モノの所有や便利さの追求に魅せられ、物質的に恵まれることが人のいちばんの幸福であるという価値観に支配されていた。豊かな暮らしを保証する最善のコースは、一流大学を卒業して大企業に就職することだった。それは遡行して予備校や高校受験、塾など、少年、児童にまで波及していく。このプログラムは、50年以上経った今でも変わらないようだが、大企業の安全神話も一流大学の幻想も、グローバリズムや少子超高齢化などの社会構造の変化により、崩れつつあるようだ。

『部族』創刊号

『部族』創刊号1967年 イラスト:ポン(山田塊也)

日本の敗戦は、それまで国民に行き渡っていた皇国思想をチャラにした。代わりに民主主義と自由主義が、カラッポになった日本人の精神のなかに一気に流入した。戦後、焼け野原となった空虚と渇望のなかで積み上げられてきた価値観、それは豊かになるということだった。アメリカ型民主主義と大量生産・大量消費を礼賛する20世紀的資本主義が、日本復興の基本フレームとなった。モノを産めよ、殖(ふ)やせよ、そして、消費せよ。それが理想的な社会主義国家と見紛うほどに均質で従順な社会を出現させた。「一億総中流」という流行語まで生まれた。さらに朝鮮戦争という不幸な事態をも外需という恵みに変えて、復興どころか驚異的な経済成長をこの国にもたらした。所得倍増計画が達成された60年代後半、人々がクルマやクーラー、カラーテレビに目を輝かしている時、経済の発展と成長にバラ色の未来を見ている時、それらの価値観と社会に異を唱え、体制に背を向けた若者の一群がいた。それが、ななおさかき、ナーガ、山尾三省などが中心となって生まれた「部族」というグループだった。ななお、ナーガは、すでに何年も前からドロップアウトし、新宿を拠点とする筋金入りの放浪者でもあった。

政治の季節、噴出する対抗文化

右からナーガ、ポン(山田塊也)、山尾三省

右からナーガ、ポン(山田塊也)、山尾三省

この頃、時代も、世界も激しく動いていた。1960年代後半は、政治の季節でもあった。日米安全保障条約の破棄か、自動延長かをめぐり、「反安保」運動が高まりをみせた。安保闘争や安保と密接に関わるベトナム反戦運動などが学生を中心として活発になった。それは高校や中学までも伝播した。学園紛争の波は全国に広がっていった。学生たちの叛旗は大学そのもの、教育現場や学校運営者、大学というシステムそのものへも向けられる。

同じ頃、学生運動は、アメリカ、フランス、ドイツなど北半球の先進国でも大きなうねりとなっていた。この潮流のなかでは、資本主義体制と同調する思想は真っ向から否定された。そして、反体制運動と呼応するように対抗文化(カウンター・カルチャー)も噴出した。ニューヨーク郊外のウッドストックにヒッピーなど、若者たちを40万近くも集めた野外ロックフェスティバル、体制や社会からはみ出したアウトローを主人公とするアメリカンニューシネマ、日本の「赤テント」「黒テント」などのアングラ劇、路上パフォーマンスなど 音楽、映画、演劇、漫画、あらゆるジャンルで、それまでの路線、体制を否定、批判を繰り広げるかたちで花をひらかせた。

ライフスタイルを変える実践的な行動

ナーガとななおさかき

ナーガとななおさかき

思想や表現を武器として、旧体制や既存の価値観に立ち向かう若者たち。しかし、ライフスタイルそのものを変えるという根本的な変革と実践的な行動をとる者たちは、限られていた。それを行ったのが「部族」だった。都市を離れ、自然のなかに共同体をつくるというコミューン運動は、すでにアメリカ西海岸のヒッピー文化から発生していた。その後、カルト化するグループもあらわれ崩壊していったアメリカのコミューン。しかし、日本に生まれた「部族」は、次の世代に受け継がせるべく種(たね)を蒔(ま)いた。そして、今も種は蒔きつづけられている。なぜなら、元「部族」の人々は年齢こそ60歳を超えるものの健在であり、今も「部族」的な生き方を貫こうとしている。その種は、生き方だけでない、"いのち"というテーマを内包したもので、かつ宇宙的で、詩的な世界を宿している。それは、取りも直さず、ななおさかきやナーガ、山尾三省らから発せられた詩人的なエネルギーの伝導だともいえる。また、農耕型社会、村落という共同体を何千年、何百年と維持してきた日本の風土、精神文化が関係していると思える。

1968年6月に発行された新聞『部族』第2号に書かれた山尾三省の文章の一部を紹介しよう。
「ぼくら部族の人間が再び三たび『自然』ということを口にするのは、そのようなやむにやまれぬ細胞の叫びを言葉に変えているだけのことだ。裸足で黒い土を踏んづけた時、どんなに細胞が生き生きとするとか、誰でもよく知っているあの躍動を、ぼくらは再びこの世界の中に取り戻さなくてはならぬと思っている。ぼくらの初歩的な部族社会が、東京と同時に信州の山の中や九州の南西諸島の諏訪之瀬島に築かれつつあるのはそのためである。それらの自然の中でぼくらは、自分たちの手で家を作り、井戸を掘り、畑を耕し、魚を釣り、夜の闇の深さと、星の明るさを見つめ、太陽の熱さ、冬の厳しさ、空の青さを感じることを始めた」(出典:『聖老人』野草社)

「部族」は、トカラ列島の諏訪之瀬島に「バンヤン・アシュラム」、長野県冨士見高原に「雷赤鴉(かみなりあかがらす)族」、東京国分寺に「エメラルド色のそよ風族」というコミューンを形成したが、70年代中盤までには、共同生活という場は解消されていった。共同体という疑似家族的な中に本物の家族が生まれ、分家していったことが要因とされている。

回避しようとした荒廃した世界

部族

右から内田ボブ、ななおさかき、アキ、黒いセーター姿がナーガ

安保条約が70年6月に自動延長になると学生運動の熱は急速に冷め、一部が地下に潜り武装化していくが、大半の学生たちは体制に順応していった。1975年4月、ベトナム戦争が終結する。それまで北半球の先進国で大きなムーブメントとなった反体制・反戦運動もその頃にはほとんど終息していった。 日本はそれからも経済発展を続け、1989年のバブル崩壊まで繁栄の道を突き進んでいく。富めること、贅沢をすることが美徳のようにもてはやされた。リゾート開発や大型テーマパーク、ゴルフ場建設、ブランドブーム、飽食、投機に財テク・・・国民はひたすら浮かれていた。そんな時代も、どっこい「部族」たちは生きつづけていた。もちろん、高度成長時代よりも、はるかに退廃した価値観がはびこる社会に背を向けて。

バブル崩壊後の失われた10年を経て、21世紀を迎える。しかし、状況は変わらないどころか、さらに悪くなる一方だ。市場経済社会はグローバリズムとマネーゲーム的な金融システムにより、たえず不安定で先行きの見えない状態におかれている。倒産、リストラ、格差社会が生まれ、派遣切りや就職難と一気に生活レベルは落ち込んでいく。自殺者の数は年間3万人を超え、新聞の社会面に殺人事件の載らない日はない。異常な社会。これが日本の現状だ。壊されているのは生活や精神だけではない。日本のあちこちで自然環境が破壊されつづけている。物質的に豊かになる、便利になる、拡大成長してきたことの結末の苦さを、いま初めて、われわれは味わっている。「部族」が回避しようとした荒廃した世界にわれわれは生きている。

「部族」は、今も生きている

大鹿村

須貝あきら氏(故人)が作った手作りの家。元「部族」の2世が暮らす。−長野県大鹿村

しかし、「部族」たちの蒔いた種は、あちこちで芽を出している。ななおさかき終焉の地、長野県大鹿(おおしか)村には内田ボブがいて、ここを拠点として、「非戦・非核」のメッセージを音楽というかたちで伝えている。そこには、かつての自分によく似た若者たちがはるばる訪ねてくる。大鹿村に住むもう一人の元「部族」アキの子どもたちは、レゲエのリズムに乗せて自作の反戦ソングを高らかに歌っている。

都市生活やがんじがらめの管理社会を見限って、秘境のような山間部に移住した世帯は、いまや20を超えるという。そうした自然豊かな環境にやってきて新たに生まれた集落は、大鹿村だけでなく日本各地に存在するという。アキ曰く、"ゆるいコミューン"が生きており、それがさらに増えつつあるともいう。トカラ列島の諏訪之瀬島にはナーガがいる。山尾三省はすでにこの世にいないが、屋久島には三省の思想に共鳴した人たちが何世帯も移住し、農業などを営みながら生活をしている。2008年8月、東京・国分寺にある日本初のロック喫茶「ほら貝」が40年に亘った長い歴史の幕を閉じた。しかし、ななおの詩集を置き、内田ボブのコンサートやナーガの詩の朗読を行うライブハウスやスペースは全国に点在する。「部族」は、今も生きている。日本のカウンターカルチャーは生きている。そういってもいいのではないだろうか。

(文/ 大島憲治)

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