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2009年11月26日掲載

東京異国物語 vol.3 在日インド人が慕う「父」 日本に紅茶を広めたインド商人の信条は「人間であること」 ジャグモハン・S・チャンドラニさん(インド)

東京の臨海ベッドタウン、江戸川区西葛西。街では、彫りの深い顔立ちのインド人パパが子どもを後ろに乗せてママチャリをこぎ、サリーを着たインド人ママがベビーカーを押しながら別のママ友とおしゃべりする、といった光景によく出会う。

じつはこのエリア、2000人ものインド人が暮らしている。全国で2万人いるというインド人の1割にあたる人たちが、なにゆえ西葛西というピンポイントに集まっているのか!? 謎を探るうちに、見えてきたのはある人物。日本に来て右も左もわからないインド人同胞を支え、彼らから「父」と慕われるのは、西葛西在住30年というジャグモハン・S・チャンドラニさん(56歳)だ。

(取材・文 長尾弥生

インドの誰もが愛するミルクティー「チャイ」

チャンドラニさん180センチの長身にスーツをピシッとまとい、一度も切ったことのないという立派な髭(ひげ)を蓄えたインドの紳士は、まず、ミルクティーの「チャイ」で朗らかに歓迎してくれた。
「私たちは、朝起きたらまず1杯飲みます。その後、11時に飲んで、15時に飲んで、17時に飲んで、ハッハッハッ・・・! お客さんが来たときにももちろん飲みます。日本人にとってのお茶みたいな感じですね」。

チャイはインドの誰もが楽しむ紅茶だ。沸騰した湯に茶葉を入れて3分、茶こしで濾(こ)して、温めたミルクと砂糖を合わせる。味の好みや季節によって、シナモンやショウガ、カルダモンを加えたりもする。

「カルダモンは集中力を高める、って、最近テレビで評判になりましたね。おかげさまでカルダモン入りチャイがすごく売れてます」。
そう、チャンドラニさんの本業は、紅茶の貿易商だ。1978年に来日して以来、日本にインドの紅茶を広めるべく地道に奮闘してきた。

日本で初めて紅茶ビジネスを始める

チャンドラニさんコルカタ(英語名カルカッタ)出身のチャンドラニさんの実家は、プラスチックや真空管の輸入販売を手掛ける貿易商だ。大航海時代から、インド商人といえば世界を股にかけて活躍する商売上手。その血を受け継ぐチャンドラニさんにとって、いつか世界のどこかでビジネスを興すことは、ごく自然な人生の選択だった。

デリー大学で経済学を修め、26歳で高度経済成長期の東京へ。インド人である自分がやるべきはインドの品々を日本に輸入すること、と考えたチャンドラニさんは、インドが世界最大の生産量を誇る“紅茶”に目を付けた。世界第2位のセイロンに5倍以上の大差をつけ、ダージリン、アッサム、ニルギリなど世界に名だたる産地もある。

ところが70年代後半の日本では、ダージリンもアッサムも知る人がほとんどなく、「紅茶ってセイロンだっけ?」と、紅茶に対する知識も認知度もかなり低かった。当然、インドの青年実業家には、日本という未開拓市場が大きなビジネスチャンスに映った。奥さんの実家が紅茶農園であることも、インド商務省の紅茶局から東京のインド大使館に出向して紅茶のプロモーションに携わっていた奥さんの存在も、心強い後押しとなる。

1982年、日本で初めて紅茶の商売を始めたインド人とは、そんな紅茶への情熱あふれる新婚夫婦だった。

インド商人のスピリット? コルカタ気質?

西葛西ディワリフェスタの様子

西葛西ディワリフェスタの様子

流暢(りゅうちょう)な日本語でさっそく商談か…と思いきや、当時、チャンドラニさんの日本語レベルは、なんと「コンニチハ」程度だった…。
「知らないところに行くのだから、言葉もわからなくて当然です。前もって準備するよりも、行ってみた方がいろんなことがわかる。言葉は現地で学べばいいですし!」。
このオープンで前向きな心の持ち様は、世界を制するインドの商人スピリットなのか。どうやら、出身地であるコルカタの気質も影響しているようだ。

「コルカタは300年も前から、ヨーロッパとアジアを結ぶ拠点として栄えてきた国際的都市です。インド料理もこの港から世界に広まりました。アジアでありながら西洋に理解があり、絵や音楽や詩などの芸術も育まれてきた街。こうしてさまざまな文化を受け入れてきたコルカタの人はオープンだし、飾らなくてシンプルなんですよ」。
「でも…」と、チャンドラニさんが続ける。
「疲れたときは“凝る肩(コルカタ)”なんてね! ハッハッハ!」。
なんともユーモラスな紳士なのである。

西葛西生まれの高級ブランド「シャンティ紅茶」

シャンティ紅茶今でこそ、夫人の名を冠するオリジナルの「シャンティ」ブランドを有し、300種類以上の質の高い紅茶を常時揃え、レストランやホテル、コーヒーチェーンなどへの卸販売で成功を収めるチャンドラニさんだが、事業のスタート当初は必ずしも順風とは言えなかった。

インドから船で運んできた質のいい紅茶。だが、保管場所を平和島の倉庫街で探したときは、言葉もわからない若い新参の外国人ということで、あちこちで門前払いをくらった。途方に暮れるなかで、江戸川区西葛西の臨海町にトラックターミナルと倉庫団地があることを耳にする。

「今はマンションや団地が建ち並んでいますが、当時はいちめん原っぱで、なーんにもなかったんです。でも、おかげさまで倉庫団地の一角に倉庫を借りることができました。しかも運がいいことに、翌年の1979年には地下鉄東西線の西葛西駅がオープンするというのです。思い切って事務所も家もここに移しました」。
以来30年。チャンドラニさんは西葛西に根を張って、家庭も会社も大切に育んできた。